柿右衛門

 十四代柿右衛門の講演を聞く機会があって息子と出掛けた。
 開演十五分前に会場に入ったが、すでに満員、どうせ同業者か学生ばかりだとの思惑は外れて着飾った中年過ぎの女性がやたらに目につく。
 すごいな、これみんなファンかと息子にささやくと柿右衛門を持っているセレブな奥様たちなんじゃないのといたって冷静な返事。それならそれでなおすごい。
 出来れば最前列にと探したが二列目も三列目も満席、かろうじて七、八列目の中央に二つ続きの空席を見つけて座る。
 
 定刻に遅れること五分、主催者の挨拶があって柿右衛門が紹介される。人間国宝だ、三百年の伝統だと目くらましがかかるからどんなオーラに包まれているのだろうと思っていたが現れたのはごくごく普通の人だった。話しぶりにも何かいま一つ冴がない。あっちこっち引きずり回されて疲れてもいるのだろうが、何よりもこんな講演が嫌で嫌で仕方がないという気配だ。本当に物造りの人なのだろう。

 世間ではうちの品物が随分高いように言われているが私にすればまだ零がもう一つ二つ多くたっていいような気がする、土もいいものがなくなって探すのが大変だし、などとぶつぶつくどき始めた。いいぞ、いいぞ、もっと言ってくれと私は腹の中で手をたたく。
 顔料もなかなかいいものが手に入らなくなったしと“緑青”造りの苦労話。まったく私たち手仕事の職人には生きづらい世の中なのだ。
 
 職人が一人前になるには三十年はかかると話が続く。工程の一つを安心して任せられるにはうちに来て、やっぱり三十年はかかりますね、うちでは職人はみな道具から手作りします。話が微妙にずれて、ますます私には面白くなり始めた。

 木を曲げます、曲げた木が元に戻らないように添え木をして蔦や何かでぐるぐる巻きに締め上げます、それを沼に三年程沈めておく、するとしっかり癖がついてもう元には戻らない、それをガラスの破片で削って整える-----。牛ベロの作り方だなと思った。このコテは有田特有のものでかっては瀬戸以東では使われなかった。作り方がややこしいせいもあったのだろう。内弟子で修行した笠間でも使う職人さんはいなかった。それが陶芸ブームで機械的に量産されたものがあっという間に全国に拡がった。
 私も面白半分に使ってみて、すぐに納得、以来十年程愛用しているがすべてを手作りしたことはない。

 なるほど、そうか、そうするのか、何かすごく貴重なことを教えてもらったような気がしてありがたかった。決して上手とは言えないが柿右衛門は朴訥に己の内側を垣間見せてくれた。この人は仕事をさせてこそ輝くのだろう。いかに伝統とか権威に弱いとはいえ、またそれだけで済む世界ではない。
 ブランドを一身に背負うが故に残された貴重な時間をこんな営業・宣伝に割かなければならないこの人の切なさを思った。
 三十分も予定を余して終わる講演もあまり経験がないが、それでもよかった。とりあえず“牛ベロ”を作ってみよう。同じ話を聞いた息子もきっとそう思ったに違いない。

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