妄想片

 疲れているのだろう。
 このごろ“蒸発”に奇妙な魅力を感じている。
 ある日、突然、直面する現実を拒絶する。一切を棄てて身を隠す。
 死ねばそれまでだが死ねないところがいかにも人間臭くていい。
 この言葉に本来は無関係な失踪の意味が付加されたのはいつごろのことだったか。
 たしか一時はブームのような現象が起って、あっちこっちで蒸発さわぎが頻発した。
 実際には出来るはずもないのだがしたらどんなことになるか、現実がうっとうしいとしばし勝手な妄想にふけったりする。

 蒸発の所作、正しい蒸発などあるはずもないのだがそれでも綿密に計画を立て、次の落着きも用意の上ではどうも本来の趣旨とは違うような気がする。
 ある日、ふと思いたつ。積年の我慢がぷつんと音をたてて切れる。
 自己同一、俺の心で思うことと俺の身体がのぞむことをもう一度いっしょにしてやろう。
 所持する金も現在地を離れるために必要な切符を購入したら残るのは小銭ばかり。
 その夜は見知らぬ町の食堂でラーメンでもすゝって空腹を満たすとしても翌日からはさっそく浮浪者の生活が待っているのだ。

 今ならまだ引き返せるかもしれない。
 多少の後悔と未練を引きずりながら暖簾を押し分けて入ると閉店まぎわだったのか客もいない。
 カウンターの隅で煙草をふかしていた女主人がものといだけな視線をなげる。
 ラーメン、麺は少し硬めにしてくれ、私はぶっきらぼうに注文をすませるとしょうこともなく棚の上のテレビに目をこらす。
 すでに火を落していたのか意外に時間がかゝってようやくラーメンが運ばれてくる。
 最後の一仕事をおえて気が楽になったのだろう、お客さん、遠いところから来たみたいだけど、それにしちゃあ、出張にも観光にも見えないねぇ、女主人が無駄口をたたく。
 ほう、どういう推理か聞きたいな、私もどんぶりにコショウをふりかけながら軽くうけこたえる。

 このあたりからは妄想の妄想たる所以なのだが話はとんとんとはずみ、しまいには泊るあてがないんなら泊っていくかい、娘が出ていって、ちょうど部屋が空いているんだ、なんてことまでに発展していく。
 気がつくと私はそのラーメン屋のひもというか居候に収まっていて濡縁で足の爪を切りながらそろそろ見切りをつけなきゃなあなどと考えている。

 千に三つはそんな話もないわけではないだろうと思ってはみてもやはり蒸発の先にはホームレスの生活が待っているものと覚悟してかゝらなくてはならないだろう。
 ホームレス入門などというマニュアル本もおそらく出ているにはちがいないが見たことはないので手さぐりで始めることになる。

 ダンボール箱を集めて小屋を作る。ふと少年時代の冒険の思い出が心をよぎるかもしれない。
 近ごろの公衆便所は清潔だし、お湯も出たりするから入浴できないこともさほど苦痛には感じないですむだろうか。
 一番の難儀は食いもののことだ。
 多少なりとも収入があれば残飯を漁らなくてもすむはずだ。
 学生時代、くすねたコーラのびんを金にかえて飯を食ったことがあったが空カンひろいはそれ程の金にはならないのだろうか。

 とりあえず夏はいい。思いのほか快適な日々が過せるかもしれない。
 満天の星を見上げて、人生の意味を悟る瞬間に出会うこともあるはずだ。

 しかし。
 しかし、冬は寒いだろう。病気をしたって誰がかまってくれるわけでもない。
 イソップ物語のキリギリスのように無様に足を引きずって行くのだろうか。
 野たれ死。野たれ死ぬ決心と死にきれる幸運にめぐまれる自信がなければやはり妄想は妄想にとどめておくのが無難かもしれない。
 明日の仕事を考えればおのずから妄想も蒸発していく。

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