オートバイ

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 親父のオートバイはたしかメグロといったと思う。
 あれで250ccもあったのだろうか。
 古い、鉄の塊のような重く頑丈な造りだった。
 中古で手に入れた親父はピカピカに磨き上げ大事に大事に乗っていた。
 そのオートバイを夜中に引きずり出して乗り回す楽しみを覚えたのはいくつの頃だったろう。
 一人では扱いきれなかったから弟を抱きこみ親の寝入るのを待って、よく無人の国道をぶっとばしたものだ—といえば恰好がいいのだが扱い方が悪いのか、機械そのものに問題があったのか、エンジンはしばしば咳込み、停止して私たちはそれを再始動させるのに乗り回すよりもはるかに多くの時間を費やさなくてはならなかった。
 点火プラグを外し、カーボンを拭取るなど、よくやったものだ。

 駆っていないと倒れるところがオートバイ好きにはたまらないらしい。
 風との一体感がいいと気障なことをいう奴もいる。
 私は4輪が安心だと思うし、できれば風や雨から身を守ってもらえる方がありがたい。
 年を取っても卒業できないでいるオートバイマニアはたいてい常軌を逸している。
 古びたオートバイを見せられてこれはすごいんだぜというから、よく見るとB・M・Wのマークが付いていた。
 おゝドイツ製かとつい相手に迎合するような言辞を発したのがまずかった。
 そうとも、しかもこれはシャフト・ドライブだ、待ってましたとばかり、一時間もオートバイの薀蓄を聞かされる羽目になった。
 ハーレー・ダビットソンなどあんなもの外道だといわれれば、そうかと思うし、あれこそ究極のバイクだと聞けば、それもそうかと思う。
 私のオートバイに対する関心は所詮そんなものだ。
 
 人の運・不運はどんな都合で決められていくのだろう。
 霧だったか靄だったか、一寸先も見えないような夜更けの国道を突っ走っていて、カーブを曲がりきれず私たちはオートバイごと路肩に放り出されたことがある。
 しばらくは息も出来なかったが、立ち上がるとこれといった怪我はなかった。
 兄さんといって駆け寄ってきた弟にも別に異常はなく顔を見合わせて、大笑いして、事はすんだが一つ間違ったらと思うとさすがにぞっとする。
 私が死んでもおかしくはない状況だし弟を殺しても心の傷は一生つきまとったことだろう。
 オートバイを壊したことでこっぴどくしかられたのは、今ではなつかしい思い出だ。

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