岡のけんちゃん 2

 犬がうまく納まったとわかるとけんちゃんは足繁く通って来るようになった。鎖で繋ぐような飼い方をしちゃだめだよ、これはいい犬なんだからさ。鎖でつなぐと首のまわりの毛がこすれて、みすぼらしくなる、骨格を狂わせる原因にもなる、そう言われれば言われるままに、私は檻を準備した。
 犬が生後六ヶ月を過ぎると品評会に出せとうるさくなった。私にもうちの犬が客観的に見てどの程度の評価を受けるのか、関心がないわけではなかった。
 
 背中を押されて地元の品評会に出すと優勝した。大きいもの小さいもの品評会はけっこうあったが出ると賞をとった。一時は夢中になって全道をかけずりまわった。安っぽいトロフィーが部屋に置ききれないぐらいたまった頃、ようやく少し熱が冷めたが、私も結局けんちゃんの術中にはまって踊らされていたのかも知れない。

 一千万の話はさておいて、けんちゃんがプードルではけっこう知られた存在であることは確からしかった。いつも五、六匹の子犬を抱えていてバンに乗せて連れ歩いていた。
 小型犬っていうのはね、サイズオーバーにうるさいの、だからさ、餌はあまり食わせられない、高蛋白、高脂肪のものをちょっと、食餌のバランスが悪いでしょ、するとこうやって目脂を出すんだ、目脂で目のまわりの毛が焼けるとかっこ悪いから、そんな愚痴をこぼしながら暇さえあれば子犬の目脂を拭いていた。
 ネクタイの幅やスカートの丈に流行があるように犬猫の世界にもはやりすたりがある。当時はプードルが全盛だった。ようやく一山当てたという感じがあったのか、いつも機嫌がよかった。
 おかげで私も怪我をしないで済んでいた。

 それにしてもやくざの女たち、水商売の女たちはどうしてあれ程、犬や猫に入れ込めるのだろう。その執着は異常だ。度を越したままごと遊び、まるで醜い自分やうつろな現実から目を背けるように架空の世界に没頭する。他人よりよいものを持ちたがり、自慢し、みせびらかし、何かというと周りを巻き込んで大騒ぎする。もっとも他人のことをとやかく言えた義理ではない。自分もまったく同じようなものだった。
 その間をうまく泳いで金を巻き上げるのが犬猫屋だ。

 けんちゃんはけっこう気まぐれで、来るとなったら毎日のように顔を見せたが一ヶ月以上足が途絶えることも珍しくなかったから私は気が付かなかったけれど何か事件が起こっていたのだ。
 しばらくして、猫でしくじって町を出たと人づてに聞いた。
 何でも弟分の女が三十万円で買った姉妹猫を兄貴分の女に五十万円で売ったのがばれたということらしい。うそか本当か、妹が三十万円なら姉が五十万円で何がおかしいとけんちゃんは啖呵を切ったというがやくざが出てきたらそんな話は屁のつっぱりだ。最後は兄貴分の兄貴分に泣きついてとりあえず指はつながったそうだけれど車の一台や二台分の金は使わされたことだろう。承知でやったのならけんちゃんも大したものだが猫の扱いはあまりやっていないみたいだったからひょっとするとはめられたのかもしれない。ちょっとはぶりが良くなりかけた矢先の事だからほらでも吹いて妬みを買ったとしてもおかしくはない。男の嫉妬ほどしようがないものもないのだ。

 それっきりけんちゃんには会っていない。けんちゃんとは二年足らずの付き合いだった。特に嫌な思い出はない。小博奕で小遣いをむしられたぐらいのものだ。こんな男にくっついていたっていいことないから俺と逃げようと女房にちょっかいをかけていたとはあとから聞いた。女房も男まさりの気の勝った女だから倶利伽羅紋紋を背負って極妻をやっても充分つとまったことだろう。
 人生は同時に二方向へ進めないがあっちへ行っていたらと考えることはある。
 けんちゃんがその後どんな人生を歩いたのか想像することはあるが会ってみたいわけではない。

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