希望ヶ丘まで 3

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 てんやわんやでひと月やふた月はたちまち過ぎる。
 私もとりあえず荷物は運び込んだものの整理がまるでつかず、なかなか仕事再開のめどが立たなくて苛立っていた。
 周囲の農家も思いもかけない災害にその手当てでおおわらわだったのだろう。その間、幾度か歓迎会の話が出たがどちらかの都合がつかず、結局、年の暮れの忘年会と一緒になった。

 集落の人との初顔合わせだ。指定された時間に赴くと会館はすでに人で溢れかえっていた。当時はまだ三十戸を越えていたはずだ。
 挨拶もそこそこに宴会が始まった。
 大薬缶に一升瓶の酒があけられストーブで直燗がつけられると、それがあっという間に空になる。再び一升瓶が注ぎ足され、そうしてそれもみるまに空になった。
 集まった男衆は皆が働き盛りの年頃で勢いがいい。はなからこちらは気圧されていた。
 それにしても最初の乾杯のビールが注がれたあとはそれっきり誰もかまってくれず、いきなり手酌で飲むわけにもいかないから、私は無聊をかこっていた。
 とんでもないところに来てしまったのじゃないか、そんな思いは引越し以来ときどき心をよぎっている。
 しかしほどなく私は攻め立てられ、守勢にまわり、陥落寸前まで押し込まれることになった。
 やあ、先生、ごめん、ごめん、気が利かなくて悪かったね、まあ飲んでくれや、最初の人がそんなことを言いながら前に来て酒を注いでくれたのがきっかけだった。次から次から入れ替わり立ち替り、私も飲めない方とはいわないが、こう攻め立てられては身がもたぬとちょっとでも拒むと、あいつの酒は飲めて俺の酒は飲めぬのかと絡まれる。

 まあ飲めや、せかされて、一口、なめるようにすする。
 もう少し飲めや、なんぼ凶作だって、先生に飲ますぐらいの酒はあるぞ。
 仕方なしにもう一口すする。まあ、仲良くやろうや、先生ももうこの部落の住人だもんな、頭を下げているうちに横で待ち構えていた人が入れ替わる。
 そうして、まあ、飲んでくれやということになる。
 私は一応は上座に座らされてはいるのだが最前から歓待されているのかいじめられているのか、わからないような心境になっていた。
 ひょっとしてとんでもないところに越してきてしまったんじゃないだろうか……。

 鷹栖町十六線十五号、そう所・番地をいえば味も素っ気もあったものではないが、このあたりを希望ヶ丘と呼ぶ。国土地理院の五万分の一の地図にもはっきりとそう出ているから俗称ではない。
 若い人たちが集い、学んで巣立っていった土地の名にふさわしかったと思う。私もその呼び名が気に入っている。
 希望ヶ丘、鎮守の想いも熱かったのだろう。
 新しい住人となった私たちも充分の祝福と加護を受けた。
 あれから二十五年が過ぎる。

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