夫唱不随?

 「何で『ムショ』か知っていたか」と私。
 「ケームショの略でしょ」と女房。
 「大概の人は、そう思っている。けど、あれはやくざの隠語だ。刑務所ではコメと麦とが『6対4』の飯を食わせる。この6・4でムショになったということだ」
 さっき読んだ安部譲二の「ぼくのムショ修行」で覚えたてのネタなのに、「ふうん」と女房は実にそっけない。だから、何なのという顔をする。
 「本を読んでも利口になるわけではない」とは誰が言った言葉だったろう。それでももしかしてと思った時期がなかったわけではない。
 しかし、眼から血の涙を流す程、読みに読んでも、たいして代わり映えはしなかった。
 もっとも、くだらない知識はたまる。仕込んだものは、ひけらかしたくなるのが人情だ。だが、さすがに誰かれ構わずともいかなくて、つまるところは女房が相手になる。
 「上野の西郷さんが連れている犬。あの名前、知ってたか」。丸谷才一の「軽いつづら」に書いていたことを思い出して言ってみた。
 機嫌の悪い時の女房は返事もしない。
 「あれって『ツン』て言うんだ。まるで今のおまえみたいだ」
 ひょっとすると、私は結構寂しい男なのかもしれない。

(北海道新聞 「朝の食卓」 2009年7月1日掲載)

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