雨蕭蕭

 9月。英語を母国語にする人たちでも、やっぱりセプテンバーという言葉にはある種の哀愁を感じるものなのか。
 それとも、親の親の代あたりが初めて聞く異国の言葉にセンチメンタルな想いを仮託した、それを引きずるこの国特有の現象か。
 長月とはいったものだ。たしかに日、一日と夜は長くなっていく。
 またたく間に月も中端、もう夏の気配はない。上着をはおったまま、身体を動かすとさすがにまだ汗ばむが手だけですむ作業を続けていては肌寒い。
 朝のうちは気持のよい青空だったものが、昼を過ぎたあたりから、いつの間にか雨が降り出して空もどす黒い雲におゝわれている。
 息子は商工会・青年部の研修とかで朝から出掛け、女房もついさっき、習い事に出て行った。
 孤り、工房で仕事をしながら、妙に自省的な気分になっている。
 人生。その終盤を可もなく不可もなく過している。
 特にやりそこねたとも思わないが、別のやりようもあったかもしれない。そういう思いはこの先も最後の最後までまとわりついてくるのだろうか。
 未練ともいえぬ程の未練だ。かきまわすとまだほかにもいろいろな澱が浮きあがってくるのだろうがとりあえず、そういう状況にはない。
 晩飯にはちょっとうまいものが食いたい。結局、思考ははそういうところに収斂していく。
 窓の外。目をこらさないと確認できないような細かな雨が、しかししつかりと腰をすえて降っている。
 ガラスに平行して張られた蜘蛛の巣が主の不在のまま水滴を無数にはらんでわずかな風にふるえている。
 遠く深い空の奥を飛行機が飛ぶくぐもった音がしている。
 今日はことさら夜が早いようだ。

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