厨房の誘惑

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 学生のころはアパートに住んだから、当然、炊事、洗濯、掃除、なんでもやった。
 親は“男子…”と考えていたかどうか、とりあえず家で強いられることはなかった。見よう、見真似といっても特に関心があったわけではないから意識的に観察したこともない。
 貧すれば鈍す、必要にせまられてやったにすぎない。
 洗濯はちょっと油断するとたちまち溜る。
 替が底をついて使用済の中からましなものを探し出すこともやったけれど平均的な学生からみるとかなり几帳面にこなした方ではないか。
 看護婦だった母のすりこみで床や壁はクレゾール液で拭かなければ気がすまなかったし、庖丁拵きなど、ガールフレンドが溜息をついて見惚れたものだ。
 小器用だったのだろう。器用貧乏なんて私の為にある言葉だったかと思わないでもない。
 主夫という発想が当時あればあるいはそれが私に一番ふさわしい職業だったかもしれない。
 だから結婚したてのころは女房のやること、なすこと心もとなくてしかたなかった。
 他人のすることにはいちいち口をはさまない常識があったおかげで思いとどまったが女房がピーマンの種を抜かないできざみ始めたときにはさすがに唖然としたものだ。
 しかし歳月は人を変える。
 女房の手料理は今、どこのどんな喰い物より私の口に好ましいし、家事全般、とりたてて文句もない。
 私はといえば掃除機、洗濯機の操作もおぼつかなく、下着がどこにしまわれているのかさえ認知しない。
 このあいだなど女房の留守にやってきた集金人に印や小銭がみつからず出直しをおねがいする仕儀にいたった。
 まさに禁治産者にちかい。
 それでも果物の皮むきは依然、私の仕事だ。
 かって寿司職人と競ったかつらむきの技術はけして錆てはいない。
 料理を作って、自分の器で人を供応できたら、どれ程楽しいことだろう。
 暇があればと思う。
 家督を息子に譲ったあとは若い妾と別宅でというのは江戸時代の夢でそんなおそれ多いことはつゆとも考えないがそのうち料理には手を出してみたい。
 男の手料理など文化教室の案内にはつと食指が動く。

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