たしか巻玉といったような気がするがはっきりしない。
少量の火薬を等間隔に埋めて、帯状に巻いたもので10円玉程の大きさがあったろうか。それ用のピストルに仕込んで撃つとパチッとはじけた小さな音が出た。
引鉄に連動して帯を繰り出す仕掛けがあって、本来なら巻玉一つ撃ち尽くせていいはずなのだがちゃちなおもちゃのことでそんなことにはめったにならない。
2手に別かれて撃ち合う場面では皆んながそれぞれ情けない思いをしていた。
途中でちぎれた不発の帯を石でたたいて発火させてよく鬱憤を晴らしたものだ。
それからすると平玉ははるかに迫力があった。
火薬の量も10倍ぐらいはあったのだろうか。
千代紙より2まわり程、小さな紙に上下、左右きちんと種が植えられている。
横着して手でちぎろうとすると、種までさいて、もったいない思いをする。あれはきちんとはさみで切り揃えてマッチの空箱に入れて、大切に持ち歩くものだった。
爆発力が増大した分、強度も必要になったのだろう。
ピストルも巻玉のものより段違いにしっかりした造りになる。
ただ残念なことにこれは連発式というわけにはいかなかった。
撃鉄を起して、火皿にその都度、平玉をつめて撃つ。
そのもたもた感は子供心にもなんとも恰好のつかないものだったが、しかし一度、平玉ピストルを手にすると、もう、強く握るとひしゃげそうな巻玉ピストルにはもどれなかった。
撃鉄など粗悪ながら鋳物だったしグリップに木を使ったものまであった。だいたい手の内に残る重さが違う。
意外に大きな爆発音と鼻をつく火薬の臭い、この先のそう遠くないところに存在するはずの本物が十分想像できて、私など恍惚としたものだ。
一玉打ちになれると、じき、私たちはダブルといって、平玉を2重にして打つことを始める。
あぶないと親に見つかるとしかられたけれど、しかられないような遊びばかりでは子供だって退屈する。
三つ重ねで打つと火花で灼かれる感じがあり、手がしびれて、どきっとする。だけど誰れもが一度や2度はやっているのではないだろうか。
あの日、私には親をおどろかせてやろうというほかには、なんの思惑もなかったはずだ。
買い物に出た母親の帰りを物置小屋に隠れて待ちうけると三つ重ねに仕込んだ平玉ピストルの引鉄を引いた。
小屋に籠って音は予想外に反響したがそれよりも私を驚かせたのは母が大声を上げて腰を抜かしたことだった。
一瞬、私はピストルが暴発して銃身が母を傷つけたものではないかと思ったほどだ。
初めて見る母の醜態にむしろ私がひどく傷ついていた。
そのあと、どのように始末がついたものだったろう。
どのような目にあっても、しかたがないと覚悟はきめたはずなのだが、それ程、しかられた記憶もない。
今だったらわかる。
従軍看護婦として戦場を駆けまわっていた母の耳元で突然炸裂した銃声の意味。
ピストルはいつか拳銃と呼び名を変えたが私がいまだに惹かれるのもそんな出来事と無関係ではないかもしれない。
深夜、私は小型の拳銃で自分の頭を打ちぬく姿を夢想する。
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