思いがけなく東京の、それも表参道で作品を展示する機会を得た。地域力宣言2010という全国商工会連合会の催事で、全国から39社、私のところは北海道を代表する形で出品する。
どのような基準で選考があったものか、ともかく望外のことだった。
しかし落着くとその振り戻しもきた。
はたして本当に日本の一流と肩を互してやれるのか。
恥もかきたくないし、買り上げでも引けをとりたくはない。
都内には賀状をやりとりする程の知人が数名住むだけでなんとも心もとない。
あれこれ思案の果てに思い当たったのが高校の同級生だった。
団塊の世代の私たちは昭和41年、高度経済成長期の入口で、就職するにも進学するにもとにかく東京を目指した。
そのせいで今もクラスの3分の1近くは東京に住む。
だがふてくされるだけ、ふてくされて過した自分の高校時代を思えば躊躇するものもあった。だいたい卒業以来、一度も顔を会わせたことがない。
同じクラスメートを持つ女房にうながされて、とりあえず案内は出す。
見かけによらず気が小さいんだからと女房にも揶揄されたが、出発の前々日には激痛が腹部を襲い病院に駆け込むような様だった。
8月も末というのに東京は猛烈な暑さが続いていた。地表にいるとたちまち全身汗にまみれる。ただでさえ汗っかきの私には地獄以外のなにものでもなかった。
原宿駅から歩いて7分、しかし表参道ヒルズは予想以上にすばらしい建物だった。
会場の地下3階、スペース・O(オー)も申し分ない。
もっともディスプレイやなにやかにや、無駄なお金をかけすぎではないかと貧乏性の私には思われた。
人は入るが物は売れないという現象がたまにある。
会場が出来すぎると、そんなことになると聞いたことがあるような気もする。
皆が皆、同じようなものだったのだから、そう解釈しても間違いではないのかもしれない。あるいはこの異常ともいえる暑さが人の購買意欲を奪ってしまったのだろうか。
勝ち負けの差がでないのはとりあえずありがたかったが、それにしてもなんともひどいありさまだった。
ひやかしの客に対応するのもいいかげんうんざりして時計を見てもこういう時間は意地悪く進まない。
そんな折だった。
頭の禿げ上がった中背の男がおうっと脂臭い息を吹きかけてきた。
私は愛想のよくない目を向けたはずだ。
しかし相手は曰くありげな目線をはずそうとはしなかった。
とりあえず元気そうでなにより___その中途半端なため口でさすがに私も目の前の状況を理解したが、相手の顔と名前を思い出すにはさらにもう少し時間が必要だった。
それにしても不思議なものだ。
特に親しく付き合った記憶もない45年前の級友となぜこのようになんの隔たりもなく向い合えるのだろう。
私たちは年甲斐もなく興奮し、話題はとりとめもなく駆け回り、つきることがなかった。
それで作品はわけてもらえるのかな、つきないなごりの終りに相手はそういい、無理につきあわなくてもいいよと私もいったはずだ。
作品の何点かをかゝえて、皆んなも来るはずだぜ、帰りぎわの相手の言葉もうれしかった。
来年、雪がとけたら最初で最後のクラス会をと誰がいいだしたのだったろう。
一泊じゃもの足りないから、二泊か三泊でやろうと話は一人歩きを始め、なんの現実的な計画もないままに東京在住のクラスメートの脳裏にはその予定が組込まれてしまったようだ。
それを地元に持ち帰って具体化させる役割を私は託された。
連中がしてくれたことを思えばそれぐらいはやらなければ私も義理もたたないだろう。
そして、その時には多少てれながらも級友を旧友と呼び直すことも出来るだろうか。
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