弥助には兄弟が四人いた。
一番上に姉、中二人に兄、そして妹だ。
しかし弥助に上、三人の記憶はほとんどなかった。
すぐ前に育たなかった兄と姉が一人ずついて、それで年が離れている。
姉は早くに商家に奉公に出て、そのうち同じ店の奉公人の一人と結婚するとそのまま城下に居付いてしまった。
二人目の子は女だったとか、手代の連れあいが番頭に出世したという話をたまに風のたよりが運んでいた。
しかし十里の道を越えて姉がやってくることはなかった。
姉には農家の暮しは二度と目にしたくないものだったのかもしれない。
二人の兄もやっぱり百姓の仕事が身に付かなかった。
ある日、ふらっと村を出て、それっきり、戻らなかったという。
死んだものか、生きているのか、兄たちの話はまるで親の口にのぼることはなかった。
老いの目立ち始めた親たちはいきおい、弥助を頼るようになる。
弥助も親の期待を裏切らなかった。
背は伸びなかったが肩幅の広い牛のような体格でいつの間にか一人前の仕事をこなすようになっていた。
弥助は野良の仕事が厭ではなかった。
同じ種をまくにしても、手のかけかた一つでまるで違う結果になる。そういう工夫が面白かった。
芽が出ると嬉しかったし、花が咲くと心がなごんだ。
身体中の汗を絞り出すようにして働いたあとのすがすがしさを魂の悦びとして感じとることもできた。
心の底にはけして人には明かせない重い秘密があって、時々それが意識されると殻に閉じ籠って、やりすごさなければならなかったが普段の弥助は働きものの気持のいい青年だった。
年がいってからの子は可愛いいと世間はいうが、弥助の親たちもやっぱりそのようだった。
親たちは五つ下の妹にはなにをさせようというつもりもないようだった。
仔犬でも飼うように好き勝手に遊ばせていた。
それをいいことに妹はいくつになっても家のまわりを跳びはねていた。
少し知恵がたりないようにもみえたがあるいは無意識のうちに、いつまでも子供でいたいと願ったのかもしれない。
甲高い声でよく笑った。
弥助も妹の笑い声を聞くのが好きだった。
弥助が十七才の年、このあたり一帯にころりが大流行した。
村からもずいぶん死者が出たが弥助の親や妹もそれであっけなく死んだ。
一人残された弥助は陥穽に落ちた野獣のように暗闇でもがいた。
なぜ、こんな目にあわなければならないのか、祟りという言葉が浮んだがそれならばなぜ直接自分に祟らないのか、自分の想いを表現する的確な語彙を持たなかったから、その分弥助は苦しんだといえるかもしれない。
なにをする意欲も起きなかったが二、三日が過ぎると、しかしそれでも腹はへった。
食うことのために気がまわりだすとその分哀しみは確実に薄らぐ。そうしていつだって、食い物は安易に入手できるものではなかった。
食い物を求めて足掻くことで弥助はいつか絶望の陥穽を抜け出していた。
しばらくすると部落の世話役が二人、連れだってやってきて、嫁をとれと弥助に推めた。
隣の部落にやっぱりころりで亭主を亡した十九才の嫁が乳飲み児をかゝえて難儀しているという。
ぬいというその女は弥助も知っていた。
近くにぬいの父親の妹がいて、ときどき泊まりがけできていたからいっしょに花を摘んだり蜻蛉を追いかけたりして遊んだ記憶もある。
おまえだって急に一人になって、大変だろう、年上の世話役が諭すようにいった。
多少の無理はあるが、こんな際だ、人助けだよ、そういわれると弥助の気持も動かないわけではなかった。
他人の子を育てることが贖罪になるとしたらそれもいいことかもしれない。それにぬいは悪い女ではなかった。
おまえだって、もう、せんずりこかないですむしなあ、しかし若い方の世話役のいった科白が弥助の癇に障わった。
いや、やっぱり無理でしょう、一言いうと、それっきり弥助は押し黙まった。
弥助がまわりから、厄介者のように扱かわれだしたのは、それからのことだ。
ぬいが子を抱えて、川に身を投げたという話を聞いたのはしばらくあとのことだ。
弥助にも少なからぬ衝撃があった。
俺には係りがないという想いとぬいを殺したのは俺だという想いが鬩ぎ合った。
幼い弥助の手を引いていっしょに駆けてくれたぬいの掌の温もりがふと蘇った。
俺はぬいを助けてやれなかったのだ、弥助はもう一つ、重い荷物を背負わされたような気がして身振いした。
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