片山一

趣味のことなど

マンマ・ミーアについて少々

 女房のリクエストでマンマ・ミーアなる映画を観に行って来た。 1999年、ロンドンで初演以来、全世界170都市で上演、3000万人以上を動員したという大ヒットミュージカルの映画化だったらしい。 息子はこの人らしく降りると一言、大勢に流されな...
小説

ショートストリィ 酒場にてⅢ

 誰だってそうは思うが、誰もがそういうふうにいくってわけにはいかないものだとおっしゃいますか。 そうですね、死ぬときまで運、不運ってやつはつきまとうんですかね。 しかし“運”っていったいなんなんでしょう。 運、不運といっても、当人の性格やら...
小説

ショート・ストリィ 酒場にてⅡ

 先客がいました。 小さな女の子とその弟らしい男の子が動かない遊具にまたがってきゃっきゃとはしゃいでいる。母親なのだろう、まだ若い女がベンチに腰かけて、膝にたてた腕に顎をのせてそんな二人を眺めていた。 この女も今、決して幸せではないなと直感...
小説

ショートストリィ 酒場にてⅠ

 私、実は今日、癌だと宣告されました。一瞬でも愕然としたのは我ながら情けない。そうじゃないかと覚悟は決めていたつもりだったんですけどねぇ。 どうも下腹がしくしくする。耐えられない程、痛むわけじゃないが不愉快な感じがずうっと続いていた。手で押...
エッセイ

ちょっと夫婦で

 札幌に用事が出来て、女房と出掛けることになった。 以前なら迷わず車ですっ飛んで行くところだが最近は運転が億劫になっている。 雪道だしな、高速料金もなあとぼやいてみせて都市間高速バスなるものに乗ることにした。JRに比べて時間は多少かかるが近...
やきもの

釉薬(くすり)掛けなど

 釉薬掛けは裏場仕事などと呼ばれる地味なものだが製品の出来を左右する重要な仕事だ。 雑器を焼いて暮らしを立てる小規模な工場では通常、裏手に陣取ったおかみさんや近所のおばちゃん達が日がな一日釉がめをかきまわしながら素焼をくぐらせては高台を拭く...
未分類

あの頃の酒Ⅲ

 あの頃はまだ女の子たちには飲酒に対する罪悪感や警戒感があったと思う。戦前の教育の残滓のようなものだが、今日のようにいくら飲んでもけろっとしているうわばみみたいな女性ばかりが増えるとそんな時代が懐かしい。 コンパと称して男女同席の飲み会もし...
未分類

あの頃の酒Ⅱ

 幸か不幸か、私たち団塊の世代は赤線や青線にお世話になる機会はなかった。もっともバクダンだとかカストリという怪しげな酒で目がつぶれたり死んだりすることもなかったから差し引きは零か。 高度成長に比例するように酒の品質もどんどんよくなっていた。...
未分類

あの頃の酒Ⅰ

 昭和四十二年の春、私は東京の小さな末流の大学にもぐり込んで家を出た。私は拗ねた十九才で斜に構えることでかろうじて自分の矜持を失わずにいたが、すでに夢だの希望だのがかなう立場にないことは承知していた。いや、そう言いながらパンドラの棺のたとえ...
エッセイ

“偕老同穴”余話

 偕老同穴と題した文章が新聞に掲載されたのが一月三日でそれから二日後のことだ。 電話が鳴ったのは昼近い時間だった。家では電話はまず女房がとることになっている。その件でお話がと聞いた途端、どういうわけか女房はクレームだと思い込んだらしい。そう...
小説

ショート・ストリィ “風子”Ⅰ 後編

 家って人がいなくなると、何でこんなにガランと冷え込んでしまうのだろう。まるでしおれた花、置き忘れられた人形、もう拗ねてなくたっていいんだよ、風子は言い聞かせるようにわざと足音を響かせて家に飛び込んだ。 越してきた当初はせまくって、古くって...
小説

ショート・ストリィ “風子”Ⅰ 前編

 自動車の前の方って、やっぱりなんだか顔に見えると思う。動物の顔だったり、人間の顔だったりはするけれど、大きなライトは二つの目だし、銀色のバンパーは口、ラジエーターグリルは鼻で、そうやって見るとけっこうみんな個性的な顔をしている、、、。  ...
エッセイ

偕老同穴

 「ねえ、偕老同穴(かいろうどうけつ)って知ってた?」と聞くから「一緒に年をとって最後には同じ穴に眠る、だったかな。夫婦仲むつまじいという意味の言葉だったと思うよ」と答えながら、ふと見ると女房は笑っている。 どうも、いつもの知ったかぶりを試...
エッセイ

雑煮雑感

 女房の実家で最初にその雑煮を出された時にはさすがに当惑した。 煮崩れたどろどろの野菜の中にもちが見えかくれしている。頭もしっぽもついただしこもそのままで二、三匹は入っているようだ。どこぞの郷土料理なのだろうか。それにしても御馳走の体裁がな...
エッセイ

幕あい

 突然書こうと思った。十月の初めのことだ。どうして今どき、そんな気持ちになったものか、天命などを持ち出すとやっぱり笑われるのだろうか。 私は自他共に認める文学青年で、若い頃には当然詩や文章も書いていたわけでそれは当時、それなりの評価も受けた...
エッセイ

サボるⅢ

 三年の三学期なんて十日も登校日があっただろうか。もう行かなくてもいいようなものだと思われたけれど最後の最後におかしなチャンをつけられるのも嫌だったからとりあえず登校すると待ってましたとばかりに担任から呼び出しがかかった。 職員室に顔を出す...
エッセイ

サボるⅡ

 死後、自分の支配を離れた肉体の存在について私は苦慮していた。 縊死にしろ、服毒死にしろ、死ぬと筋肉は弛緩する。すると鼻汁、唾液、大小便の類が体外に漏出する。 目を見開き、唾液を垂らして、下半身を汚した私の死体。それは今、身を置くこの現実よ...
エッセイ

サボるⅠ

 小学校は皆勤で通した。その年は五百人を越える卒業生の中でこの栄誉を受けたのは三人だけだったような記憶がある。母親の意地だったのかもしれない。熱があろうが腹が痛もうがとにかく学校へ叩き出された。登校拒否なんてことは思いもしなかった。ただいじ...
エッセイ

犬の名前(日本篇)

 日本人に最も膾炙した犬の名前と言えばやっぱりハチ、忠犬ハチ公だろうか。渋谷駅前にあるあの銅像の犬のことだ。東京帝国大學農学部教授上野英三郎とこの秋田犬の物語は本になったり映画になったりしているからあえて説明するまでもないだろう。文字通り喪...
やきもの

柿右衛門

 十四代柿右衛門の講演を聞く機会があって息子と出掛けた。 開演十五分前に会場に入ったが、すでに満員、どうせ同業者か学生ばかりだとの思惑は外れて着飾った中年過ぎの女性がやたらに目につく。 すごいな、これみんなファンかと息子にささやくと柿右衛門...
エッセイ

もしもピアノがひけたなら

 音楽はまるで駄目だ。演歌なら一、二曲は何とかはずさないで歌うことが出来る。どうしても人前で歌わなければならない時にはそのとっておきの一、二曲を使いまわす。調子に乗って他の歌に手を出すと周囲が露骨に白ける。それ程、場の空気が読めないわけでは...
趣味のことなど

レッドクリフについて少々

 レッドクリフを観た。大ヒットだというが、さもありなん。封切3週間後の夜だったにも関わらず観客は少なくなかった。期待するとはずすジンクスを勝手に作ってしまったので気がもめたが杞憂だった。監督のジョン・ウーが自信たっぷりにゆったりと演出し堂々...
やきもの

三つくり

 一土、二窯、三作り、と言う。よい焼き物が出来る条件を並べたものだ。窯屋は一窯、二土、三作りと言ったりする。焼きものだろう、何てったって焼く窯だろうなどと力む。 作り手である私たちにはやっぱり作りが一番だと思うところがある。備前の土を使って...
エッセイ

泣く

 年のせいかめっきり涙もろくなった。もともとそういう傾向があったところにもってきてこの老化現象だから実にしばしば泣く。 新聞を読んでいて子供の事故死などという小さな記事に出会ったりするとぐっとくる。嘆き悲しむ親の姿が目に見えるような気がする...
タイトルとURLをコピーしました