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仔ぎつね、おコン 【まとめ】

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ふりさけみれば4 綿あめ慕情

 どんなにおいしいものだろうと思っていた。地方によっては電気あめ、綿菓子とも呼ぶのだろうか、あの夢か、雲のようにはかなくふくらんだ綿あめのことだ。いかにも特別な日の特別なおやつらしく夏のあいだだけ、祭やお盆には駄菓子屋の横に屋台が出た。 風...
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ふりさけみれば3 私の西鉄ライオンズ

 父は偏執的な西鉄ファンだった。 勝てば天井が抜けるような大喜びをして、なけなしの小銭を子供たちに配ったり大さわぎだったが負けるとその分不機嫌になり誰かれかまわず当りちらした。 大正2年、四国、宇和島生まれの父が大阪に出、やがて終戦のどさく...
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ふりさけみれば2 -4行目-

 4才の私は弟を背負った母に引きずられるように坂道を登っていく。 そこは枯野であり、青草の野であり、山雪の舞う雪原であったりする。 その時々で背景は変わるがその坂の登り下りだけが鮮明に脳裏に残る。つじつまのあう話に繋がるわけではない。一枚の...
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希望ヶ丘まで 3

 てんやわんやでひと月やふた月はたちまち過ぎる。 私もとりあえず荷物は運び込んだものの整理がまるでつかず、なかなか仕事再開のめどが立たなくて苛立っていた。 周囲の農家も思いもかけない災害にその手当てでおおわらわだったのだろう。その間、幾度か...
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希望ヶ丘まで 2

 鷹栖町は人口およそ7600人、旭川市に隣接する広大な土地で、上川百万石の中核となる米作地帯だ。 鷹栖の縁をたどれば多少はないわけでもなかった。 私は春になれば山菜採りにこの町の奥に入り込んでいたし、仲間と畑を借りてとうもろこしを作ったりし...
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希望ヶ丘まで 1

 昭和五十八年六月のことだ。当時、私は旭川市豊岡に工房を構えていたが、ある日そこに突然、男が飛び込んできて興信所の名刺を差し出すと悪いようにはしないから、少し内容を教えてくれと言った。 私の仕事は陶芸家、このあたりでは一般的なものではないか...
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タケⅡ

 その時、雀荘で卓を囲んだその一人がタケだった。 同級だと紹介されたが顔を見た記憶がない。けげんな気持ちが表情に出たのだろう。 去年は一級上だったんだ、おととしは二級上か、来年は間違いなく後輩だ、すかさず棚沢が付け足した。 大学に籍を置いて...
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贋自分伝(おおよそ事実 だがすべてをそうとられても困るという意味で)より タケⅠ

 お前さんの擦れてないわけでもないくせに妙にうぶっぽく見えるところがいいんだよな、どうだい、しばらく俺と組んでやってみないか、タケは銜え煙草の煙に顔をしかめながら片手でビールを私のグラスに注ぎ足すとそう言った。 私は軽く頭を下げてビールを受...
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あの頃の酒Ⅲ

 あの頃はまだ女の子たちには飲酒に対する罪悪感や警戒感があったと思う。戦前の教育の残滓のようなものだが、今日のようにいくら飲んでもけろっとしているうわばみみたいな女性ばかりが増えるとそんな時代が懐かしい。 コンパと称して男女同席の飲み会もし...
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あの頃の酒Ⅱ

 幸か不幸か、私たち団塊の世代は赤線や青線にお世話になる機会はなかった。もっともバクダンだとかカストリという怪しげな酒で目がつぶれたり死んだりすることもなかったから差し引きは零か。 高度成長に比例するように酒の品質もどんどんよくなっていた。...
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あの頃の酒Ⅰ

 昭和四十二年の春、私は東京の小さな末流の大学にもぐり込んで家を出た。私は拗ねた十九才で斜に構えることでかろうじて自分の矜持を失わずにいたが、すでに夢だの希望だのがかなう立場にないことは承知していた。いや、そう言いながらパンドラの棺のたとえ...
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増毛へ 2

 増毛は終着駅だ。ホームの先で線路は途切れ、いかにも車止然とした車止がここで写真をお撮り下さいと言った感じで設置されている。一瞥してやり過ごそうとしたが声がかかり写真。とりあえずスポンサー付きの身だ。 十数人程の降客があったはずだが、そんな...
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