カテゴリー: 旅行

  • 増毛へ 3

     国稀酒造は明治15年(1882年)創業だからかれこれ130年になろうかという道内屈指の伝統ある造り酒屋だ。創業者、本間泰蔵は新潟県佐渡の人、裕福な仕立屋の三男として育ったが24歳の時に来道、小樽をふり出しにほぼ10年、33歳にしてすでに自分の酒蔵を持つ。面白い時代だったのだろう。アメリカンドリームという言葉があるが男なら誰しもが見たい夢だ。才覚と先見の明とそして運とであっという間にのし上がっている。泰蔵にとっては酒造りも事業のほんの一部であったにすぎない。

     酒と染め抜いた大のれんを横目に赤く焼けた杉玉をくぐって薄暗い店内に入るとさくらさんが腕をこまねいて待っていた。
     さくらさん、四代目当主の義妹というより、泰蔵直系のひ孫と言うべきか。高橋留美子のうる星やつらのさくらさんを私はすぐに連想した。
     さくらさんは溌剌としている。意気軒昂だ。国稀を背負って立つという気合がある。工場を歩きながらの説明にもそれがみなぎる。相槌は佐々木さんにまかせて、私は右から左に話を聞き流しながら130年の風雪を想った。よく使い込まれた建物はまるでそれ自体の意思のように凛として動じない。
     重要文化財、丸一本間家も素晴らしかった。一世紀を耐えてゆるぎない。家を形作る木材の一つ一つがもうすでにこの国のどこを探しても手に入りそうもないものばかりだ。それをくぎ目も見せずに組み上げている。床板の一枚一枚に手がんなをかけ面を取る作業をさせた大尽も大尽ならした職人も職人だ。家の端々に一見さりげなく刻み込まれた男たちの心意気を伝えようと松本さんも熱い。案内をしていただいた松本さんはまるでこの家の霊に取りつかれたような人だ。もっともっと話を聞いていたかった。

     滞在3時間。少し時間が足りなかったですねと佐々木さん。腹八分目って言いますからと私。
     国稀の酒は辛口でアルコール度数も高い。それでいてうまい。試飲の酒に私たちはけっこういい気分で増毛駅に向かう。
     さて。終着駅は始発駅なんて歌もあったっけかな。




  • 増毛へ(1)

     JR北海道に“ライズ”という広報誌がある。そこから突然、“ぶらり一日旅”に出演してもらえないかと電話がきた。
     JR北海道には土・日・祝日限定の“一日散歩きっぷ”というのがあって決められた範囲内であれば普通・快速列車の自由席が一日、乗り放題で2040円、子供は半額という。そのキャンペーン企画だった。どういうわけか私に白羽の矢が当たったらしい。
     そのきっぷを使うつもりになって一日好きなように旅をする、費用はすべて先方持ち、日当も出る、一も二もなく引き受けた。
     旭川からだと美唄、新得、上川、中川、増毛がそれぞれの方面の限界、しかしけっこう遠くまでいけるものだ。
     本当にどこへでもいいんですよということで久しぶりに海を見に行くことにした。
     そこで増毛へ。

     朝というにはやや遅い、十時すぎ旭川駅出発。普段の行いのせいだろうか心配だった天気もとりあえずいい。
     深川で担当の佐々木さんと合流、初対面だったがそんな堅苦しさを感じさせない。二両編成のディーゼル車は便数が少ないせいもあるのだろう、ほぼ満席だ。
     北一巳、秩父別、質問ぜめにあいながら、晩秋の野をがたごとと列車は進む。もえ人気で一時は大騒ぎだった恵比島も今はひっそりとおさまっていた。
     昼過ぎに留萌着。乗客は皆降りて私と佐々木さんだけが残る。ここで昼食支給。にしん親子弁当は可もなく不可もなし。弁当を食べ終わっても列車はいっこうに動き出す気配がない。本は持ってきたがあえて手にする気にもなれず手持ちぶさたのままぼんやりと外を見ている。留萌は大きな町だと思っていたが、こうして車中から眺めると意外にこじんまりとした感じだ。左手は駅舎に阻まれているが、右手は線路の柵のすぐ向こうがもうパークゴルフ場、老人が数人、のんきそうにプレーしている。パークゴルフ場の奥は水田だろうか、その先は水産加工場、そしてなだらかな山が連なっている。もの思いに沈みかけて人の気配に我にかえった。

     ぱたぱたと客が乗り込むと待つ間もなく列車は出発。すぐに右手に海が見え、たちまち車窓いっぱいに拡がっていく。
     色彩と質感を欠いた海、薄曇りの空は海と同化し、空は海となり海は空になって、透明の硝子に定着している。 
     車体を傾け右に大きく湾曲しながら列車は進む。
     さあ増毛だ。