先客がいました。
小さな女の子とその弟らしい男の子が動かない遊具にまたがってきゃっきゃとはしゃいでいる。母親なのだろう、まだ若い女がベンチに腰かけて、膝にたてた腕に顎をのせてそんな二人を眺めていた。
この女も今、決して幸せではないなと直感しました。夫との別れを考えているのか、金の心配か、そこまではわからないが、人生の岐路で迷っていることは確かだと思いました。
私は離れたベンチに腰を下ろして金網越しに町を見た。現実であるくせに非現実にしか感じられない眺望が目の下に拡がっていた。
この薄汚れた、雑駁とした町の隅々に数十万という人々が暮らしている。今、この瞬間にも誰かが死に誰かが生まれようとしているかもしれない。抱擁する恋人たちもあれば別れ話の最中の夫婦もあるだろう。一人一人が皆、それぞれの事情を抱えて、しかし町はそんなことにまったくおかまいなく、昨日も、今日も、明日も何も変わらずあるのだろう------そんなことを考えていると何か憑きものでも落ちるように気持ちが落ち着いてきました。
これでよかったのかもしれない。これが私の望んだ結末だったかもしれないという想いがだんだんと強くなっていました。
女房は死ぬ二年程前から急に認知症が進んで一人では何も出来なくなりましてね。私は年金生活を始めたところで、別にこれといってやることもなかったからよかったといえばちょうどよかった。炊事、洗濯、掃除、何でもやりました。下の世話や入浴も。一緒に風呂に入って、身体を洗ってやって、湯につけるときには数を数える代わりに古い童謡なんか唄ってやると何か感じるものがあるのでしょうかね、めそめそ泣き出したりして。
私は女房の介護を大変だなどと思ったことはありません。今、思い返すと、むしろ楽しい日々だったような気がするぐらいです。
だけど私がぼけても、娘夫婦の手を煩わすわけにはいかない。娘はまだ子供たちが小さいし、それだけでてんてこまいしています。今以上に負担をかけたら壊れてしまうかもしれません。
いずれ施設に入れられるしかないんだろうが、あれは嫌ですね。見も知らない他人の、薄汚い年寄りの、下の世話など誰がすすんでやりたいものですか。手を抜いて済むんなら誰だって手を抜きたい。それが人情ってもんですよ。
殺さぬように囲っておいて、金を生ませ続ける。介護施設なんて、言っちゃ悪いが鶏卵生産工場と変わらないんじゃないですか。
ぼけないうちに死にたいもんだと私はずうっとそう願っていました。
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