三つくり

 一土、二窯、三作り、と言う。よい焼き物が出来る条件を並べたものだ。窯屋は一窯、二土、三作りと言ったりする。焼きものだろう、何てったって焼く窯だろうなどと力む。
 作り手である私たちにはやっぱり作りが一番だと思うところがある。備前の土を使って、備前の窯で焼いたところで国宝になるものもあれば打ち捨てられるものもある。有田の土だって柿右衛門や今右衛門が作ればこその話だろう。
 しかし「つ・く・り」という三文字は悪い。一作り、二土・・・と言おうとしても最初でこけて格好がつかない。三土、二窯、一作りと順序を換えれば一応は納まるがやっぱりどこか無理がある。俚諺に語呂は大切だ。
 一、二、三は並列連記で順番ではないと言う辺りでとりあえず妥協したいと思うが客観的な立場の人にはわかってもらえるものだろうか。 
 炉材の進歩はめざましい。今日の陶芸ブームは断熱耐火レンガやカンタル線の開発で可能になった簡便な窯を抜きには考えられない。かっては熟練の職人の勘が頼りだった焼成もコンピューターを組み込んだ自動制御装置を使えばスイッチを入れるだけだ。
 土についていえば、有田も駄目、備前も駄目、瀬戸だって同じようなものだ。かって六古窯と呼ばれた名陶の産地ではよい土はほとんど掘り尽くされてしまった。今日、相当量の粘土が輸入されていることは知る人は知っている。よく耳にする信楽土など産地名だと思われがちだが歴としたブランド名だということだ。
 
 手先の器用さ、物造りの確かさではいまだ世界に冠たる日本だが私たち職人にとっては何とも生きづらい時代になっている。日本人は焼きもの好きで狭い国土に多様な産陶地を育んできたものだ。
 それが需要と供給のバランスが崩れてどこの窯場からも悲鳴があがる。人々の関心がバーチャルな世界に集中し食生活も変化した。そして人口そのものも減少している。とにかく日用雑器が売れない。人間国宝と言われる人たちにしたところで生活の基盤は日用雑器であったはずだ。
 戦後の復興から今日の隆盛まで日本を下支えしたのは江戸三百年で培われた職人技術ではなかったか。それをこのまま朽ち果てさせてどんな未来があるというのだ、仲間うちで酒を飲むといつもこんな大法螺で慷慨する。
 しかし、そんなのんきな話ではない。明日をどのように生き残るか、本気の模索がここしばらくは続くだろう。

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