あの頃の酒Ⅱ

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 幸か不幸か、私たち団塊の世代は赤線や青線にお世話になる機会はなかった。もっともバクダンだとかカストリという怪しげな酒で目がつぶれたり死んだりすることもなかったから差し引きは零か。
 高度成長に比例するように酒の品質もどんどんよくなっていた。
 ビール大瓶一本百二十七円、缶ビールなどという気の利いたものはまだなかった。日本酒二級一升五百五十円、清水崑のカッパの絵が頭に刷り込まれていて、何かとこのメーカーのものを買った。
 トリスを飲んでハワイに行こうというコピイが大流行だったが一本三百八十円のトリスはあまり飲まなかった。悪くてもその一ランク上のレッド。レッドはまだ丸ビンで五百円だった。
 大衆の酒、焼酎は……と唄いはしたが焼酎も飲んだ記憶がない。ちなみに煙草も新生を吸う奴はいなかった。みんな、ハイライトかセブンスター、馬鹿が一人いきがってゴールデン・バットを吸っていた。一箱二十本入り三十円、とんとんと詰めると上の方三分の一程が空になる。火をつけるとパチッパチット爆ぜて、下手をするとズボンを焼いた。中也はこんな煙草のどこがよかったのか。
 ともかく、学生はけっこう贅沢だった。昭和元禄と揶揄される所以だろう。

 なにかというとすぐ酒になる。本当によく飲んだ。アルバイトの帰りがけ居酒屋に流れることも少なくなかったけれど、大概は誰かかれかのアパートに集まって車座になって飲んだ。
 親元を離れて、一人立ちしたものの、まだ一人は心もとなく、とりあえず群がったのだろう。私も構えていた割には誘われると断らなかった。
 そんな席に女の子が混じることはまずなかったと思う。下卑た猥談で盛り上がるなんてこともなかった。まあ、ほらを吹ける程の経験もなかったのかもしれないが、酒にほてった頭で声高にけっこう高級な議論を闘わせたものだ。政治、文學、人生、気の合う奴も合わぬ奴もごったごたで、みんな、それぞれ勝手なことをしゃべっているようでそれなりにけじめもあったから、めったなことではけんかにもならなかった。
 そして、お決まりのように誰かが酔いつぶれ、誰かが吐く。妙なもので介抱にまわると酔いは醒める。肩を貸して外に連れ出す奴、手際よく後始末をつける奴。
 ほてった頬を風にさらしながら夜道を帰ると金鳳花の匂いが鼻をくすぐったりして青春だった。
 あれは今、思い出しても懐かしい青春だった。

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