あの頃の酒Ⅰ

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 昭和四十二年の春、私は東京の小さな末流の大学にもぐり込んで家を出た。私は拗ねた十九才で斜に構えることでかろうじて自分の矜持を失わずにいたが、すでに夢だの希望だのがかなう立場にないことは承知していた。いや、そう言いながらパンドラの棺のたとえのようにポケットのすみには羽虫が一羽、ひっそりと息づいていたのだったろうか。
 ともかく閉塞状況から解放されたのはうれしかった。
 
 時は昭和元禄のまっただ中、GNPは世界第二位に迫る勢いで伸びていたが、当然、その負の半面、公害や薬害だの都市問題も顕在化していた。喉元を過ぎて、笑って見ているが、現在の中国、北京の状態とそれ程変わらなかったのではないかと思う。

 アングラ酒場、フォークゲリラ、フーテン、情報はリアルタイムで地方にも届いていたが、しかしなんといってもここにはその実体があった。
 街を歩けば髪も髭も伸ばし放題の若者たちがビルの脇にけだるそうに寝そべっていた。ギターを抱えて大声で唄う若者がいた。膝を抱えて聞き惚れる少女がいた。そういう存在をまるで無視して忙しく行きかう人、人、人の波があった。
 階段を上がっていて、ふと目を上げるとミニスカートの奥がまる見えだった。慌てて視線をずらす間もなく罵声をあびていた。どぎもを抜かれて腹が立つまでには時間がかかったが、馬鹿はどっちだ。
 そうして革命という緊張はなかったが実にしばしば暴動が起きていた。
 よくも悪くも東京だった。

 大学はどこでも学園紛争を抱えて混乱していた。赤だの青だの白だののヘルメットをかぶり、タオルで顔を覆った連中が三分角の角材を片手に集団ヒステリーで熱くなっていた。
 それはそれでノンポリと呼ばれた私たちのような存在にはありがたいことだった。授業がサボれるというより学校が機能不全に陥って授業そのものが成立していなかった。
 早々に大学に見切りをつけると、私はアルバイトとおぼえたての酒に関心を集中していった。
 自分でも意外だったのは私には妙にセールスの才能があったことだ。
 出来たての友人に誘われて始めた日給プラス歩合の訪問販売の仕事では常に上位の成績だった。二万とか三万という当時の金額は今日だったらおよそ三倍程の値打ちにもなるだろうか。日雇労働者(ヨイトマケ)の日当が千二百三十六円の頃だ。毎月のようにそれぐらいの歩合があった。
 そっちの方の才能を伸ばしていれば、また別の人生だったかもしれない。

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