それであんたは綾子とは親しいのかと男はいった。
いきつけの居酒屋だった。
男とも目顔で挨拶を交す程の面識はあった。
だが三浦先生をいきなり綾子などと呼び棄てにするとはなんだ。
私は不快な感情を露骨に顔に出したかもしれない。
作品展の案内葉書を店に置いてもらうのが目的で、しかし手ぶらで帰るのも不調法な気がしたから、とりあえずカウンターに座ってビールを頼んだところだった。
私が渡す葉書の束を見ていたのだろう。
手を出してマスターに所望すると一瞥して先生の推薦文に目を止めたらしい。
マスターとのやりとりの途中で腰を折られた私は無視して話を続けようとしたがすでにいい具合に酔った男には頓着なかった。
なあ、あんた、そんなに綾子と親しいんなら、俺に色紙を一枚書いてもらってやってくれよ。
この手の話にはうんざりしていた。
先生の知遇をうけるようになって、私にもそんな依頼がときどき舞い込むことがある。
大方は間髪を容れずにお断りするがなかにはやんことない事情というのもあって、引き受けざるをえない場合もあった。
そんな時は本当に困った。
先生は無作法を嫌われる。
特別な因縁があるわけでもない私を、先生がもし心安く思っておられるとしたら、それは分を弁えた対応をしてきたからにちがいなかった。
その先生が作品展のたびに推薦文を書いて下さっている。
望外の幸せというべきでそれがどれ程私の活動の助けになっていることか、経済効果だって馬鹿にならない。
それ以上を欲張って、すべてを失うような真似はしたくなかった。
余計なことに首を突っ込むべきではない、それは人生の知恵のようなものだ。
なんだって、またそんなに三浦綾子なんだろうね、マスターが場を繋ぐようなことをいった。
だってよう、おまえ、氷点なんか泣くぜ。
氷点という言葉は思いがけなく胸に反響した。
先生のあまりにも有名なデビュー作、だけど私はまだ読んでいない。
案外、こいつ、すごい本読みだったりして、私は密かに聞耳をたてた。
大手スーパーで鮮魚を担当しているという男はいつも、正面に入場証のタグを貼りつけた軍式キャップを被っている。その帽子がなかったら、人はおそらくその筋の者だとして敬して近づくことはなかっただろう。
酒焼けした赤ら顔からはどう見ても文学的な雰囲気はただよってはこない…、しかし人は見掛けによらないともいう。
だがやっぱり、そういう恐ろしい話にはならなかった。
小説は長いからな、長すぎて読みきれなかったが、テレビで観た、かゝさず観たぜ、島田陽子がとにかくかわいかった。
映画の内藤洋子の方がすれていない感じでもっとよかったんじゃないですか、マスターが調子を合わす。
白けていないでおまえも飲めよ、そういって男にビールを注がれたのはその時だった。
しかし、なんだな、旭川のあたりまえの風景でもテレビを通すとちょっと違って見えるから不思議なものだな。
席を立つのならこのあたりが潮時だったのだろう。
なのに私は話の成行きが気になって店を出そびれてしまった。
別に難しい注文がつくわけではなかったら色紙の一枚や二枚、手に入らないこともないのだ、注がれたビールに口を接けながら、私はそんなことも考えていた。
私は聖書の言葉を書きつけた先生の色紙を秘書の八柳さんが管理しているのを知っていた。
突然やってくるファンや教会のバザー用に先生は色紙を書き溜めておく必要がおありだったのだろう。
八柳さんにたのめば直接、自分でお願いしなくてもきっとなんとかしてくれるはずだ。
それはすごく気持が軽くなる思いつきだった。
私はぐいとビールを呷った。
しかし、俺は仏教徒だからな、耶蘇の言葉じゃありがたくもなんともねえや、そういって、男はだだをこねるのだった。
どうせなら、男は度胸とでも書いてもらってくれや。
私が頭を抱えるとマスターは大笑いをした。
それからも私は男を説得しようと努力をしたのだ。
しかし男はどうしてもうんとはいわなかった。
ただ酒を飲んだ分、私の方に分が悪かった。
なに、いくつも逃げはうってきたんだ、いよいよになれば握り潰したってかまわないんだ、私は酔った頭で自分に都合のいい言訳を考えていた。
誰がどう考えたって、三浦先生に“男は度胸”はないだろう。
先生には何にも伝えることはない。しばらく一人の胸にしまっておいて、ころあいをみて、やっぱり駄目だったと頭を下げる、厭味の一つくらいはいわれるかもしれないが、それで万事収まるはずだ。
そう心を決めるともう私は悩まなかった。
だからあの時、なぜぽろっとそんな話を先生にしてしまったのだろう。
先生は私の工房で寛がれて、とりとめのない雑談に興じられていた。
その折だった。自分でもまったく思いがけず“男は度胸”の一件が私の口からこぼれ出してしまった。
心理学的には説明がつきやすい行動なのかもしれない。
私はずるいが小心者でもある。
あら、と先生は気にとめられて、なんだったら、私、書いてあげましょうかと続けて、おっしゃった。
先生には、そういう茶目っ気たっぷりな一面がある。
ひょうたんから駒というべきか、はたまた棚からぼた餅とでもいうべきか、とりあえず、おいしそうな話になった。
おいしい話ならじっくり味わうにこしたことはない。
先生の色紙を仰々しく差し出しながら私はたっぷりと尾鰭をつけて手柄話を語った。
それでお礼はどうしたらいいんだ、うろたえ気味に男がきいた。
一升下げて挨拶にいくか。
先生はお酒はたしなまないから、と今度は私があわてる番だった。
なんてったって特別なものだからね、横からマスターが煽るようなことをいう。
十万といや十万、いや金で買えるものじゃない。
あゝだこうだと悩む男に私はただ酒を飲みながらつきあって、労働奉仕なんてことを先生は喜ばれるなどと知恵をつけたりした。
それでその冬、男は先生のお宅の屋根の雪下しをすることになった。
私までも先生や八柳さんに感謝されて、ずいぶんとおもはゆい思いをしたものだ。
男は家宝にするといっていたがその後、色紙はどうなったことだろう。あれから四半世紀が過ぎる。
そのうち、なんとか鑑定団に、先生の筆なる男は度胸の色紙が出品されてその真贋が問われたりすることもあるかもしれない。
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