どうしてこの日を年の始めと定めたのかといったことを考えている。
とりあえず掃除をすませ、鏡餅も飾った。風呂に入って髭もあたった。
いささか腹もへったし年越しの小宴が待ち遠しい。
しかし女房は依然、気忙しく立働いている。思いどおりに事が運んでいない苛立ちが身体中から放出されているようだ。
こういう時にはじっと身をちぢめているのにかぎる。
おかしく目についてからまれたりするとおもしろくないことになる。
そういうことはもう充分承知しているのだが気になりだすと止まらない。
女房の目を盗みながら書棚のまわりをうろついて、あっちの書物、こっちの辞典と、とっかえひっかえ引っぱり出しては調べている。
まさに親の目を盗んでいたずらをする幼児のような心境だ。
おかげで暦法については蘊蓄が増えた。
太陽が春分点を一順するのを以って一年とする、これが今日の暦の基準になっているらしい。
新月から新月までの月の満ち欠けを一ト月としたのが太陰暦、こちらの方が古代人には理解しやすかったのは納得がいく。
なんと四千年も以前から暦は存在したというのだから人類の叡智も大したものだ。
しかし、その日を正月とする、その謂れはどこにも出ていない。
つまらない情報ばかりが増えてくる。
どうも年の始めの規準は、時代や地域でまちまちであったらしい。
旧正月という言葉はいまでも使われるが、実際、中国やベトナムではこの日を年の始めとしているようだ。
春分や秋分、冬至や夏至を正月とする国もあったというが、これはこれで理論的なものだろう。
そもそもは冬至をもって一月一日としていたと考える人もいる。それが閏を入れなかったから数千年の間にずれたのだと説明する。なるほど。
今はおしゃか様の花まつりということになっているが、古い日本では四月八日を年の始めとしていたという説もあった。
農耕の民族が新春のその日を選んだその心もわかるような気がする。
気分一新、さぞさわやかな気持で農作業にも取り掛かれたことだろう。
おまたせ、おまたせ、ふいに女房ができたての茶碗蒸しを運んできて、いつの間にか食卓もおゝよそ斉ったようだ。
私もあわてて本を閉じると本棚に押し込んだ。
今年は本当にいろいろなことがあったがなんとか無事にすごすことが出来た。
新しい年にはどんなことが起るのだろう。
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