サボるⅡ

 死後、自分の支配を離れた肉体の存在について私は苦慮していた。
 縊死にしろ、服毒死にしろ、死ぬと筋肉は弛緩する。すると鼻汁、唾液、大小便の類が体外に漏出する。
 目を見開き、唾液を垂らして、下半身を汚した私の死体。それは今、身を置くこの現実よりさらに醜悪な様相ではないか。
 不様な遺体を人目に晒すのは何としても避けたかったが、これといった適切な対処の方法がなかなか思い浮かばなかった。
 私が躊躇するのはそれだった。しかし本当は死なずに済ます口実を探していただけのことだったのかもしれない。

 そんな矢先、何気なく生徒手帳を見ていると八割の出席を要すという記述が目に入った。八割の出席、言い換えれば二割はサボっていいのだ、私はカレンダーを前に腕を組んだ。
 英語や数学は週三時間あったりする。美術は逆に二時間通しで週一回だ。複雑に考えればいくらでも複雑になりそうでこんがらがってくる。ふうむ。
 だが一瞬にひらめくものがあった。そうか、なんのことはない、五週に一週休めるということじゃないか。曜日をずらしていけば毎週一日サボれるのだ。
 これはまさに天の啓示だ。

 私はすでに学業は放棄していたが、出来ることなら卒業はしたいという俗っぽい希望も持っていた。そういう自己矛盾が当時の私で処理できずに抱え込んだ諸々に膨れ上がり、破裂寸前だったのだ。
 週一回サボって問題にされないのならこんなありがたいことはない。 
 わらを掴むような気持ちで実行にうつったものだったが、それは私の閉塞状態に見事に風穴を開けてくれた。このことがなかったら私はやっぱり持ちこたえられなかっただろう。

 天が恵んでくれた自由な一日。
 学校に行くようなそぶりで家を出て、公園で一日、寝転がっていたこともある。そのまま空に吸われてしまえばどんなによかったことだろう。
 映画にもよく行った。学割で入ってガラガラの席に座っているとモギリのおやじがやって来て、すみません、お客さん、この時間に学割ってわけにもいかないものですからと、一般料金をとられることもあったが別に学校に通報されるわけでもなかった。
 海が見たくなれば汽車にも乗った。帰りの汽車がなくて、さすがに途方に暮れていると見も知らぬ人が家に誘ってくれた。その人とは今でもつきあいがある。札幌で作品展を開くと必ず娘につきそわれてやって来て、私の手を握って泣いてくれる。もうそろそろ九十才になるんだったろうか。

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