サボるⅠ

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 小学校は皆勤で通した。その年は五百人を越える卒業生の中でこの栄誉を受けたのは三人だけだったような記憶がある。母親の意地だったのかもしれない。熱があろうが腹が痛もうがとにかく学校へ叩き出された。登校拒否なんてことは思いもしなかった。ただいじめられにいくようなものだったが自殺も考えたことがない。
 中学は最後の最後、馬鹿なことをして大怪我をしたばかりに皆勤は逃したが、それでも三日と休みはしなかった。中学では学力が腕力とほぼ同等に評価されるようになったから私にはよほど居心地がよかった。
 サボることを覚えたのは高校に進学して、一年休学して、復学したあとからのことだ。

 その年の四月、私は一年下のクラスに編入された。それが嫌で嫌でたまらなかった。
 私は何も悪くない、私はむしろ被害者なのになぜ私だけが割りを食わなければならないのだろう、諦めてはいたが諦めきれない恨みだって残る。
 私は右足を一本駄目にして、人生に絶望していた。周囲はそれなりに気を使ってくれていたが、私はすでにこの世のどこにも身の置き場がないという気持ちになっていた。
 私は自分を殻に閉じ込め本を読み漁る合い間に死ぬことばかり考えていた。

 自分の為に多少弁解がましいことを言えば学習指導要綱が改定されて、一学年下からは教科書の内容も格段にに高度になっていた。例えば数学では私たちの年度までは幾何は高校の分野だったが、一つ下の学年では中学で終了していた。英語なども一気に数千という単位で単語数が増えて難解だった。
 一年間、全く学業を放棄した挙句、この端境にはまったわけだから授業についていけるわけがなかった。
 私の自分のプライドの為にも拗ねてみせるしかなかったのだ。
 それでも私の中にはどうしても棄てきれない常識というようなものがあって例えば学生服の中に煙草やナイフを忍ばせていたとしても粗暴にも不良にもなりきれなかった。
 どういうわけか女にだけはもてた。年上にも、年下にも。一生分もてたかもしれない。硝子の破片みたいでキラキラとかっこよかったと今でも女房は言う。女房は遅れたあとの高校の同級生だ。

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