幕あい

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 突然書こうと思った。十月の初めのことだ。どうして今どき、そんな気持ちになったものか、天命などを持ち出すとやっぱり笑われるのだろうか。

 私は自他共に認める文学青年で、若い頃には当然詩や文章も書いていたわけでそれは当時、それなりの評価も受けた。小さな雑誌だったが数年にわたって連載もしていたからひょっとすると思い出してくれる人がいつかもしれない。
 しかし筆を折るという意識もないままに仕事や生活にかまけて、何となく書く世界から遠ざかった。子供の作文に手を加えたりあいさつ文をひねったり、年に数回、そんなことで文章をいじくるのが関の山だった。相変わらず本は読み続けていたが気楽な立場で他人の文章にけちをつけて、うさを晴らしていた。
 まあ、ほとんどの文学青年がたどる道でなれの果てというみじめな自覚も持たなかった。

 小さな種火がついたのは、六ヶ月前、町に頼まれて広報に六百字あまりの文章を書いたことだ。実に久しぶりに活字になる文章だった。けっこうしっかりしたものに仕上がったように思われて自分を見直していた。
 やれば出来るかもしれない、しかしそれは多かれ少なかれ今までもずうっと持ち続けてきた気持ちであって、実際に始めるにはそこからさらに大きな力でもう一押し二押しが必要なこともわかっていた。

 そんな折、新聞のコラムの執筆者に選ばれる可能性が出てきた。
 ブログという発表の場所を見つけたのも大きい。誰に読まれるあてもなく書き続けるのはつらい。結局、書かなくなった原因はそれだ。
 子供たちのあと押しも大きかった。
 「もし、今、思いきってやらなかったら、おまえはけちなごみくずなんだし、いつまでだって、けちなごみくずのまんまだぞ—-。」
 こうなれば書くしかない。

 一篇六百字あまりを週二篇書く、最初にそう決めた。プライドはある。書くからにはそれなりのものを書かなければならない。書き始めた以上、書き続ける。
 そして三ヶ月、夢中で書いた。誰かれが読んでくれている、それが大きなはげみだった。けっこうきつかったがやれば出来た。約二十篇、五十枚程の原稿用紙を消費したことになるだろうか。私は古い人間なので何かというと原稿用紙に換算して量を計る。
 千枚も書きためたらものになるものならものになるだろう、かってこの世界の末端につながる人にしたり顔で言われた言葉だ。言わんとするところはわかるがやり遂げるには大変だ。
 とりあえず来年は百篇、原稿用紙で二百枚程度を目標にする。
 書くことはある。しかし書くものがみな女房への恋文のようになってしまうのはどうしたものだろう。反省する必要があるのかないのか、これは問題だ。

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