女房の実家で最初にその雑煮を出された時にはさすがに当惑した。
煮崩れたどろどろの野菜の中にもちが見えかくれしている。頭もしっぽもついただしこもそのままで二、三匹は入っているようだ。どこぞの郷土料理なのだろうか。それにしても御馳走の体裁がない。
正月、義父や義兄と屠蘇をいただいていささか高揚の状態にあったから箸が出たが素面であれば口に出来たかどうか。私は案外目で食べる方だ。
それがうまかった。義母は婿が上手を言っていると思ったかもしれないが本心うまかった。
以来、それが我が家の雑煮になった。家の伝統などという意識をまったく持たない若い頃だったから、迷いも何もなかったが、今、考えると私の方の親たちにはちょっと悪かったかなという気もする。
子供の頃の雑煮はしょうゆ味の澄まし汁に焼きもちと薄く切ったダイコン、ニンジン、しいたけ、ミツバなどが色どりを添える程度に入る。父親は宇和島の生まれだからおそらくその地方のごく一般的なものなのだろう。子供心にはうまくも何ともなかった。儀式として食するといった感じだった。
母は帯広の生まれだがその父親は大阪の人だったからおそらく、大阪風のお雑煮を作っていたに違いないが、これは残念ながら食する機会がなかった。
雑煮については民俗学的、歴史学的な研究から、料理のレシピに至るまで相当量の書物が出版されている。それだけ地方地方の特色が今もはっきり残っているということだろうか。
だけどちょっと考えただけでも角もち、丸もち、焼くの焼かないのから始まって、塩味、しょうゆ味、みそ味、そして具材を変えればそれはもう無限に派生していく。中にはあんもちを使うものやもち抜きという変り種もあって、さらに種類は増える。極言すれば一家に一種、雑煮あるといってもいいだろう。
それ程の種類がありながら、よほど決心してかからなければめったによそ様のところのものを口にする機会がないのもまた雑煮の目立った特色だ。
少なくとも私は自分の育った家のものと今は自分の家にも引き継がれた女房の実家のものと、この二種類しか食べたことはない。
それでも私は自分の家のものが一番美味しいと思うし、隣は隣でやっぱりそう思っているのだろう。こういう平穏を人はもっと信じた方がいいのかもしれない。
コメント