“偕老同穴”余話

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 偕老同穴と題した文章が新聞に掲載されたのが一月三日でそれから二日後のことだ。
 電話が鳴ったのは昼近い時間だった。家では電話はまず女房がとることになっている。その件でお話がと聞いた途端、どういうわけか女房はクレームだと思い込んだらしい。そうささやかれて替った私もだから当然そのつもりでいる。あの文章は二重、三重のチェックが入っていたはずだが、上手の手から水が漏るということもないとはいえない。しかしどこが問題なのだろう。
 とある神社の公司だと名乗った相手は静かな口調で読後感などを述べている。一見悪意などありそうにも思えないが、けなすなら褒めろというのは大宅壮一以来、知る人は知る批評の必殺技だ。こういうのが一番手強い。私は短く返事を返しながら相手の出方をうかがった。
 -----それで偕老同穴をご覧になったことはおありですか。
 そうか。そこか。そこを突かれると弱い。私は実際の偕老同穴は知らない。東京大学総合研究博物館が所蔵するガラス容器に入ったホルマリン漬のものを写真をみただけだ。でたらめな受け答えで話をこじらせるのもいやだったから私はその旨を正直に話した。
 そうでか、それでは-----と、しかし話は突然、予期せぬ方向に急展開した。その神社に寄贈を受けた偕老同穴があるのでよろしかったらお見せするとのことだった。ありがたいお話でありがたくお受けしたが、私の態度の豹変ぶりは自分ながら情けない。相手の方もさぞかし、不審に思われたことだろう。
 それにしても、女房のやつ。
 女房の早とちりには今さら大して驚きはしないが憮然たる想いは残る。正月早々つきつめるとドウケツエビに笑われそうだから我慢はするが、これって私の書くことをまるで信用していないことではないか。
 とりあえず、横で心配げに聞き耳を立てていた息子にだけは大いに受けた。
 とんだ初笑いを提供したものだ。

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