好き嫌い

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 牛肉は乳くさい臭いが鼻について口に出来なかった。
 チーズも食べられなかった。
 バターを使ったいためものも熱いうちは平気だったが冷めてくるとやっぱり臭いが気になって箸は止まった。
 それでいて、熱い御飯の真中にバターを埋めてちょっと醤油をたらす、いわゆるバター飯は好物だったのだからこの辺の微妙な嗜好は自分でもうまく説明がつかない。

 父は好き嫌いが激しくて、だから子供の頃は納豆だのとろろだのといったぬめるものはめったに食卓に上がらなかった。
 マヨネーズやトマトケチャップも家には置いてなかったと思う。
 醤油一辺倒でそのかわりなんにでも見境いなくじゃぶじゃぶ醤油をかける。
 漬物にも梅干にも醤油をかけた。
 その癖をどうも私も受け継いでしまったようで今でも時々女房にたしなめられている。
 
 そんなふうには思わせなかったが、ひょっとすると母の方が父よりももっと好き嫌いがはげしかったのではなかったか。
 母の場合は買う買わないの判断も調理についても一切がその手の内にあったのだから実体は見えずらいが、どうもそんな気がする。

 そんな親たちだったから私も好き嫌いをとがめられたり矯正されたりすることなく育った。
 知性のすぐれた人間には好き嫌いがあって当然だとでも勘違いしていた節もある。
 食物の好き嫌いと人の選り好みとにはなにか関連するものがあるのだろうか。
 どうも非科学的だが無関係ではないような気がする。
 父も母も私も、それぞれに人の選り好みも激しかった。
 一目見て駄目だと思ったらどうにもならなかった。
 それでどれ程、人生を狭くしたかわからない。

 年を取ると好みが変わるというのは本当だ。
 若い頃には見向きもしなかった煮魚がおいしくなった。
 風呂吹き大根だの茄子の煮浸しがうまいと思う。
 そのせいかどうか、人間に対する許容の幅も拡まったような気がする。
 だとすると年をとるのもまんざら悪いことばかりではない。

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