浮気の愉しみ

 浮気は文化などと居直るつもりはない。
 残された時間もそれ程、多いわけではなく、今、予定している計画だって、おそらくその半分も達成できずに終るだろう。
 時間の貴重さは身に浸みてわかっている。
 年齢相応の分別も弁えているつもりなのだが、どういう加減か、そういうことになってしまうわけで無駄に時間を過したと忸怩たる思いで反省することも少なくないのだ。
 しかし、性懲りもなくつい手を出してしまうのは新しい出会いのときめき感が忘れられないせいかもしれない。
 なかには、もう少し若かったら、どれ程、深入りすることになっただろうと怖気をふるうこともある。
 麻薬のようなとでも表現すればいいのだろうか、これを理性で止められる人はよほど意志が強いに違いない。
 関心のない人にはバカばかしいかぎりかもしれないがこの人生それではいったいなにがどれほど意味のあることだというのだろう。
 ひととき、なにもかにもをうちすてて夢中になることができるというのはやっぱり幸せなことだと思う。

 自分を浮気者と規定して、特段、恥じるところはない。
 だが、それにはそれなりの費用がかゝるものだと覚悟していたが最近、それがきわめて安価にすむようになった。
 喜んでいいのか、どうか、おかげでしばしば本筋をはずしそうになる。
 かっては一冊の本を入手しょうと思えばけっこう吟味してかかったわけでおのずから守備範囲も狭く構えざるをえなかった。
 手を出さない分野はけっこうあったし、初見の著者はよほどのことがないかぎり無視していた。
 しかし最近のように文庫本一冊分の価格で単行本が何冊も手に入るとなると話はずいぶん違ってくる。
 今、押えておかないとそれきりもう二度と手に入らないかもしれないという条件も微妙に心理に作用するのだろう。
 とにかく買う。ちょっとでも興味があればとりあえず買っておく。
 どうせ読めもしないのにといわれればたしかにそうで、今の私の読書力では手に入れた本をすべて読破することは不可能だ。
 パラパラとめくって一行でも気を入くものがあればそれはとりあえず読む。
 そうでないものはいずれまたということで部屋の隅に積み上げる。
 そうして読む本の中におもいがけない発見がある。
 ああ本の世界はすごいとためいきでもつくしかない。

 昨日、私が買ってきた本。
 1)くちなしの花、ある戦没学生の手記 宅島徳光 1600 光文社
 2)招かれざる仲間たち 源次鶏太 980 新潮社
 3)満身これ学究 古筆学の創始者、小松茂美の闘い 吉村 克己 1900 文藝春秋
 4)算私語録 安野光雅 1200 朝日新聞社
 5)真剣師 小池重明“新宿の殺し屋”と呼ばれた将棋ギャンブラーの生涯 団鬼六 1800 イーストプレス
 この五冊を525円で購入した。
 定価ではけして買わないような本ばかりだが、この価格だともうしわけないような気がする。
 そうして、私は真剣師 小池重明にはまって、一晩寝そびれた。
 小池重明という存在は知っていた。
 私は一時、将棋に狂ったことがある。
 もともと真剣師として伝説の男だから話がおもしろくないはずはない。
 団鬼六を読むのは初めてだった。女体を縛ったりする方面専門の人だと思っていたから縁がなかった。
 しかし熟練の職人技というか、なかなかしっかりした文章でおどろいた。
 2、3ページ、のぞくつもりで手にとって、そのまま、目が離せなくなってしまった。
 手に入れば、団鬼六はもう二三冊、読んでもいい、こんなふうに浮気は始まるのだ。
 
 私は年に百冊ほどの本を読む。
 六十才になった時、こんなふうに本が読めるのもあと十年かと思った。
 十年、千冊、あれは読みたい、あれももう一度読もうとあげていくと、とても千冊ではすまなくなった。
 計画をたてて、ノートをとってきちんと、読もう、浮気なんてしている場合ではないぞとあの時の誓いはどこへいってしまったのだろう。
 私は人生をもう一度やり直したいなどと思ったりすることはないのだが、本だけはもう少し読んでいたい。

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