血液型占いというのが一時大流行した。
多種多様の人間を4つに仕分けるのはいささか乱暴だがその単純明快さが受けたのかもしれない。
当時、スナックなどで飲むときまって血液型を聞かれたものだ。
何型だと思う?と逆に問い返すと待ってましたとばかり講釈が始まる。
日に幾度も同じ話を繰り返すのだろう。
それがちょっとした芸になっていて、外れることもあったが当たることも多かった。
当てると為て遣ったりという顔をする。
なにせ4分の1の確率だから当たる可能性も高い。
それが進化なのだろうか、そのうち、何型の入った何型というようなバリエーションが登場するようになる。
私はO型だがどうも血液型占い的にはA型の資質が多いようだ。
だからずいぶんA型の入ったO型なのねと判断される。
それで贋占い師は自己満足し占われた方もとりあえず了解するのだが、しかしこういうふうに細分化を始めるとやがてなんでもありになってしまって、占い本来の意味も失われるのではないだろうか。
そんなこんなで血液型占いも一時の勢いはなくなったがいまだにしぶとく生き残っているところをみると人間はよほど占いが好きなものらしい。
占いに頼る心理を分析すると現状に不満ということになるのだろうか。たしかにいつの時代でも、現実に満足している人間なんてほとんどいない。
私も新しい高島暦を見つけると店頭で立ち読みする程には占いに関心がある。
ここのところ、毎年のように喜しい言葉が並ぶのだが、なかなか事態はそのように発展しない。
よほど前後の星の影響が入っているのだろう。
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