待たされ上手

 もしそんな言葉があるとしたら私はけっこう待たされ上手な方だろう。
 1時間ぐらいなら放っておかれてもたいして苦にはしない。
 本があればそれこそ御の字だがそうでなくても、妄想、空想をくりひろげていると時間は思いのほか、早く過ぎる。
 呼びかけられて、いいところだったのにと舌打ちしたくなるような気持で我にかえることさえある。
 時間をもてあますと子供の頃には手あそびを始めたらしい。指しゃぶりの変形でもあったのだろうか、やめろとたびたび親から注意された記憶が残る。
 そんな目に見える癖はいつか消えたが、思考回路でする一人遊びは大人になってむしろ増長したようなところがある。
 だいたいなんだって遊びになる。
 100から7を引いていくのは精神科医が脳軟化症の診断に使ったりするがこれだって、しばらく遊べる。7が終われば6でやっらり8でやったり、200からやったりといくらでも工夫はできるわけで頭をかゝえてうつろな表情をしているからといってかならずしも深刻な悩みがあるわけではない。
 このあいだはふと思いたってことわざとしりとりは出来ないものかとやってみた。
 —渡る世間に鬼はない—言いたい事は明日いえ—縁は異なもの—暖簾に腕押し—と意外に続く。
 しかし続けば続くなりにあきる。
 それで今度はことわざで言葉重ねをやってみた。
 —知らぬが仏—仏の顔も三度—三度目の正直—正直者は馬鹿を見る—知らぬが仏の顔も三度目の正直者は馬鹿を見るとつづけて悦に入ったところで名を呼ばれた。
 立ち上がった瞬間、見るは目の毒ということわざがぱっと浮んだ。
 そのあとにこれは続くと思ったが残念ながら思考は中断せざるを得なかった。
 ひょっとするとまだまだ続けていけたかもしれない。残念。

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