息子にあとをつぎたいと切り出された時には本当に動揺した。
まったく想定外のことで、私は息子が大学に残ることを希望していた。
こんな仕事では食っていけないと思っても私自身がまがいなりにも暮らしてきたのだから、説得力にはかけるだろうと頭をかかえる。
息子とうまくやっていく自信もなかった。せっかくあとつぎが入っても、親子げんかのあげく、子供が飛び出す話はこのあたりにもはいてすてる程、ある。そうはなりたくない。
女房にしりをたたかれて、しぶしぶ息子と話し合い、結局同意させられた。
今日からは親子じゃないぞとけじめをつけると、それじゃ、おやじさん、おかみさんと呼べばいいんですねなどと、生意気な口をききやがって・・・あれから七年になる。
私たちはずうっと一つの作品を二人で造ってきた。デザインを二人で考え、たとえば私がロクロを挽くと絵付は息子といった具合だ。
私はおとろえる一方だが、息子は最近とみに自信と力をつけてきた。
ここ数年はアイヌ文様をモチーフに取り組んでいるが、なんとか人にみてもらえるまでになったのは息子に負うところが大きい。
二十七日(注:2009年5月27日、すでに終了しました)から丸井今井札幌展で私たちの展示会が開かれる。
はりきる息子を見ていると、親ばかと笑われそうだが感慨無量だ。
(2009年5月21日北海道新聞「朝の食卓」に掲載)
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