札幌ドームでは案内の女性が私を見て、「けっこう歩きますけど」と言った。
大丈夫だとは思ったけれど、団体での見学だったし、息子がついていたこともあって、あえて無理はせず、車いすに乗ることにした。
私は両足に障害があるが、ずっと肩ひじ張って生きてきたから、今まで自覚的に人の世話を受けた記憶がない。息子に押される車いすは、おもはゆいような妙な気持ちのものだった。
しかし、乗って正解というべきか、札幌ドームは確かに歩く。
後日、家族で旭山動物園に出かけた時のこと。私は逡巡(しゅんじゅん)したが、「お父さんには無理、車いす」と女房があたかも犬に「ハウス」と命じるがごとく言ったので、私も反射的に従ってしまった。
女房の判断も正しかったのだと思う。
どうも最近、私の歩行は、おぼつかなくなったらしい。つんのめったり、転倒したりすることが多くなったのは事実だが、人には当人が感じる以上にひどく見えるものなのだろう。
いずれ歩けなくなる日が来ることは覚悟していたが、心のどこかでは、そういう現実とは永遠に遭遇しないとも思っていた。
「いいよ、おれは、車いすの陶芸家で売り出すから」。憎まれ口をたたいてみても、多少落ち込む日がないわけではない。
(北海道新聞 朝の食卓 2009年10月25日掲載)
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