弟を背負った母は私の手を引いてその坂を上った。私はなえた右足を庇いながら引きずられていく。
 もっと右足を使えと母がしかる。
 下りは楽だが下れば上りが待っている。
 そうして日に幾度上り下りをくりかえしたことだろう。
 看護師だった母には機能回復訓練の知識はあったろうがまだ小学生にもならぬ子供にその意味は理解できなかった。
 ただ母の必死の思いが伝わるから私も黙々と従っていた。
 不具になったことで親を恨んだことはないがその坂はしばしば夢に出た。それはけして気持ちのいい夢ではない。
 数十年ぶりに女房、子供を連れてその坂を訪ねて、私は思わず笑ってしまった。
 それは本当にちっぽけな坂だった。こんな坂になんで私はこだわってきたのだろう。
 のどが渇いたと息子がいった。
 坂の上の店でラムネを買い、したり顔で栓を抜いてみせ、私もびんを口にあてた。
 するとどうしたわけか、突然、涙がふき出してきて私は家族の手前、あわてて背を向けるとあくびでもするふりをして、空をあおいだ。
 母さん、それで母さんはやっぱり不幸だったのかい…。
 まっ青な空には白い雲が一つ静かに流れていた。

(北海道新聞 朝の食卓 2010年6月19日掲載)

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