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 年度ごとのベスト・エッセイ集が文芸春秋社から発売されている。
 80年台の初めから始まって、かれこれ30年、30冊あまりの本が出ていることになるのだろうか。
 一般公募もしているらしいが、ともかく審査委員が選定した五・六十篇のエッセイが一年分、一冊に納められている。
 出来がいいことだけを基準に集められたものだから、当然統一されたテーマなどはない。文章の長短もさまざま、文体もさまざま、執筆者も素人、玄人、有名、無名、実にさまざまだ。雑駁といえばこれ程の雑駁もないだろう。とりとめのないことおびただしい。
 今までならおそらく手にとることもないような本で、実際、まめに書店がよいをしながら、こんな本があることは知らなかった。
 自分でも思うが、私はかなり狭視野に限定的な読書をしてきた。それだって一生かゝっても到底、読みきれないだけの本はある。
 エッセイもよく読むが好きな作家のものとか特別に関心のある人物に限ってきた。たまたま文章を書こうなどと発心したおかげで読んでみようと思うようになったまでだ。
 エッセイなど片手間に書けると思い違いする者が玄人の中にもいるようだがどうしてどうして、これ程、出来、不出来のはっきりするものもないと思う。埋草とはいったものだが雑誌などには読むに耐えないようなものもけっこう並ぶ。
 世のみとめる文章とはどんなものか虚心に接してみるつもりだった。
 好きだ、嫌いだと我を張るのではなしにできるだけ客観的な立場で読もう。
 よい文章に数多く当るという、王道中の王道をいくわけで、その為にもまさに格好のテキストだ。
 ここ5年分ぐらいは文庫化されて、書店にも並んでいた。さかのぼって5年分ぐらいは注文で取り寄せることが出来た。
 単行本も文庫も原則再版はしない方針のようでそれから先は宝探しのようなものだった。足しげくかよっているとふいに古本屋でみつけたりする。読むよりも集めることに情熱が傾いたという人も知っているが、その気持もなんとなくわかった。私たちにとって図書館は最後の保険のようなものだ。
 最初の頃の本には今日すでに歴史上の存在と化した錚々たる顔ぶれが並ぶ。時代の古びもついて書いていることにもなんとなく重みがあるような気がする。
 あの時代、この人たちがリードしていたのだと思えばありがたさもいや増す。おかしな刷り込みもあるのかもしれない。
 近年になるにしたがって、テレビなどで顔と名前は知っているが文章などは読んだこともない女流作家たちが登場してくる。よい機会だ、どんなものだろうといささか小意地の悪い心持ちで読むのだが、それがなかなかどうして達者なものだった。
 私たちの若い頃には文学をやるというのは世を棄て四畳半でもんもんと原稿用紙と格闘するイメージなのだが今どきの人はもっとずっとスマートにワープロを打つのだろう。
 おかげで日本語もすっかり変わってしまってといかにも年寄りめいたくりごとが浮ぶ。
 書くための勉強のつもりで読んだのだ。しかし活字となり本となる人の文章はみなそれぞれにうまい。
 これじゃ、自分の立つ瀬などどこにもみあたらないではないか。
 ベスト・エッセイ集はあけてはならない玉手箱だったのだろうか。
 ひげだけが伸びる。

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