電話

 年に一度か二度、ごくたまに朝6時を過ぎるのを待ちかねたように電話が鳴ることがある。
 はずかしながら私たちはまだふとんの中で目覚めきらぬ頭につきささるような電話のベルに辟易しながらあゝまた部落のどこかの家で不幸があったなと考えている。
 女房が起き出して受話器を取る。対応に聞き耳を立てながら間違いがなかったことを確認する。
 これで丸一日半は拘束される。予定を思い浮かべて身体を空ける算段をつけ、身支度を急ぐ。7時にも葬儀の打合せが始まるからだ。遅れたらまた何を言われるかわからない。
 それにしても、一日、24時間あるのにどうしていつも早朝なのか、そこらへん、わかりかねるところもあるがとにかくそんな時にはきまって、朝、6時すぎだ。
 引越した当初は面食らいもし、腹も立った。
 以前、真夜中に無言電話がかゝることが続いた。
 私は身に覚えのない疑いを女房にかけられて、無実の証明に四苦八苦させられたが、それはさておき、時間外の電話は特別なことであり特別なこととは身内になにか異変があった場合しか考えられなかった。
 時間外の電話は精神衛生にもきわめて悪い。
 夏場の農家なら、すでに一仕事を終えた時間かもしれないが夜の遅い私たちにとっては、朝の来るのはもう少し先になる。
 農家とは生活のリズムが違う。表立って文句を言う程の元気はないが、かんべんしてくれよといいたい気持だ。
 しかし少し時間をおくと客観的にものをみる余裕もでてくる。
 ひょっとすると農家どうしでは平気で朝の3時、4時に電話がとびかっていたりするのではないか。
 あそこは夜がおそいからと連絡担当はいらいらしながら6時を過ぎるのを時計をにらみながら待ってたりするのかもしれない。
 そんなふうに考えれば相手に対してもいくらか柔軟な対応ができるというものだ。若い頃はとんがる一方だったが年の功か、自身を韜晦する術を身につけつつある。
 結局、それが身の為だ。
 袖ふれあうも他生の縁などと思いながら顔を洗う。
 朝ごはんどうすると台所で女房が叫ぶ。
 それにしても電話のベルをあゝいう音に設定した人は天才だと思う。
 へたな目覚まし時計よりよほど神経を覚醒させる。
 無視したところでなに程の不都合があるとも思えないのに結局、受話器を取らされる、あの仕掛け。
 考えると電話はけっこうこわい。

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