女を抱かせてとたしかに男は言ったのだった。
酒を飲ませて、女を抱かせてようやく聞き出した話だ、間違いない。
10才の牝馬の引退レースだ、花を持たせようとみんなで握っている、間違いない。
それで50万貸せと男は言った。
旭川で挽えい競馬がさかんだったころの話だ。
私は小さな会社の責任者で多少の金は自由になったが土曜の午前中ではどうにもならない。
20万円をなんとか工面して俺にも乗せろととりあえず10万円を相手に渡した。
第10レース、8番、単勝、私たちはちょっとおそい昼食をラーメンをすゝってすますと口笛でも吹きたい気持で時を待った。
第8レース、第9レース、勝った負けたと大騒ぎする奴らが馬鹿にみえてしかたがなかった。
しかし第10レース、その馬は第2障害を最後まで越えられなかった。
私のくすぶりはそこから始まった。
ツキとはいったいなんなのだろう。
運だのツキだのとそんなことを私は口にする程、信じてはいなかった。ただ人間関係に角をたてないための韜晦じゃないか。
それがツキに見放されるとはこういうことかと思い知らされるような事態が招来した。
賭け事はいうに及ばず仕事家庭すべてが裏目、裏目にまわる。
もう一つへたをすれば女房に離縁を切り出されてもおかしくない状況だった。
長い長いくすぶりが続いて、6ヵ月後、俺の女がな、費用は持つ、皆んなでぱっとやりたいと騒ぐんだと男の誘いがあった。
当然、私たちは一も二もなく話に乗った。
その女、小料理店の女主人が店をしまうまで私たちは奥の座敷で待つことになる。
とりあえずマージャンでもしていよう、暇潰しで嘘のような低いレートで始めたマージャンでいきなり私は国士無双をつもあがりした。
それからはゴト師がどんなうまい積み込みをしてもこうはうまくいくまいというような手が次々ときた。
お前、何かやってるんじゃないだろうな、しまいにはそんな声がかヽった。
こいつにそんな腕があるか、もう1人が嘲うとこんなレートでなきゃ勝てねえんだから、好きにやらしておけと残りの1人も言った。
そろそろいいわよ、女主人が声をはずませたとき、実は私は九蓮宝燈をてんぱっていた。
おう、これでしまいだ、言った男が切った牌が当りだった。
ロンといいかけて私は息をのんだ。
冗談のような勝負だとしてもこれで上がると生命を失うといわれる程の大役だ。
私に上がりを躊躇させるものがあった。
私が運命の神秘を信じた瞬間だったかもしれない。
とりあえずそれで憑物でも落ちたように私のツキのなさは消滅した。
あれでもし九蓮宝燈を上がっていたらどんなことになっていたのだろう。
俺はあのツキをまだ手の内に残しているのだと時々思う。
人生、まだ勝負が終ったわけではない。
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