牛と風邪は引くなという。
牛は依怙地で引かれると突っ張る。下手をすると後退さる。
牛を歩ませるには尻の方から宥めすかすように追ってやる。
牛追いと呼ぶ所以だ。
牛にはまったく関わりないがこの感じはなんとなくわかる気がする。
風邪の場合も引くという。数多い疾病の中でもこの動詞が付くのはこれぐらいのものだがなぜだろう。
広辞苑に当ると、かっては息をする意味にも使われていたらしい。息を引きとるなどのいい方が今日でも残る。
それにしても風邪が呼吸器から伝染するらしいことを当時すでに知っていたのだからたいしたものだ。
好きこのんでかゝりたいと思うものなどいるはずもないが、それでも子供の頃はしょっちゅう風邪を引いていた。
発育が悪かったか、栄養のせいか、あるいはその相乗効果だったかもしれない。1950年、朝鮮戦争の前後のことで町の奥に入った開拓民の子供たちはまだ昼食時教室から抜け出したりしていた。
鼻水だの咳だののまえにとにかく喉の奥が腫れた。
まずものが食べられなくなる。やがて唾を飲み込むのさえ苦痛になって症状は悪くなる一方のような気さえしてくる。
熱でふやけた頭は不平と不満でいっぱいになり、私は部屋の隅のふとんの中で世の総てを呪うのだった。
私の性格の大部分はそんな体験が醸成したものではないかと思っている。
年がいくにしたがって喉を腫らすことも少なくなったがそのせいかどうか、他人との折合もとりあえず無難につけられている。
気が張っていれば風邪は引かないとよくいうが、あれは本当のことだろうか。
ともかくかゝれば気がゆるんでいたことにされてしまうのだから真偽のほどをたしかめるすべはない。
私は最近、外に出歩くことがめっきり減っているからたいがい家族の誰れから外から持ち込んだものでやられる。
この間は息子が持ち込み女房にうつり、やがて当然のように私がかゝった。
息子はちょっとおかしいとなると即、大量の薬剤を買い求めしゃにむに風邪をおさえこむ。
女房は息子の指南と薬剤のおこぼれで、それ程大さわぎにならずにすむ。
私は薬剤を拒否して二日寝た。
熱はたいしたことがなかったが鼻水と咳は出た。
おかげで風邪のことなどあれこれ考えた。
咳は今も残っている。
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