花の名前

 花の名前を覚えようとしたことがある。日本の詩歌を正しく観賞しようと思えばそれは必要なことだと思ったからだ。
 たとえば万葉集、およそ4500首の内に植物が読み込まれたものが3分の1をこえる。桜、梅、椿など日本人として生長するうちに当然のようにすりこまれるものもあるが中には生まれて初めて聞くような名前も少なくない。文学を学ぶ者としてこれではあまりにもなさけないではないか。私は若くて純粋だった。そうして、かくのごとく志は正しく高かったのである。しかし、その方法において私は決定的なあやまちを犯した。
 すなわち受験勉強方式に植物図鑑の丸暗記をこころみたのだ。
 そのようにして覚えた英単語が実際にはなんの役にもたたなかったように私の知識は野山に出るとほとんど用をなさなかった。そのトラウマがある。野花を見てパッと名前をいえる人には年がいもなく嫉妬する。
 女房は朝昼のワイドショーにしか興味がないのかと思っていたら近年、フィールド派に変身した。庭に出て汗だくで土を耕し草花を植えたりしている。それが楽しくてたまらなくなったという。
 「お父さん、これ、これね、おみなえし」
 私は暇にまかせて知識を蓄積すること半世紀、すでに雑学百般、人後に落ちることはないと自負していた。
 それを今更、なぜ、こうして女房の後塵を拝さなければならないのだろう。
 深く天を恨むしかない。

(北海道新聞 朝の食卓 2009年9月25日掲載)

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