闇の果て (二)

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 家に逃げ帰ってからも、弥助の心は鎮まらなかった。
 いずれ悪事は露顕する、そんな確信めいたものがあって、自分で自分を嘖なまなければなかなかった。
 馬鹿なことをしたものだという想いとあれは事故で責任はないという言訳が胸の内で鬩ぎ合う。そうして結論はけして都合のよい方には落着かないのだ。
 罪は認めるとしても死にたくはなかった。
 生きるためには事が表だってはならないのだ。とにかくなんとしても匿し通さなければならなかった。
 落着かぬ不安な日々が続いた。
 道で村人たちと擦れ違うと、そのあと噂をされはしまいか振返って、確かめずにはいられなかったし、夜、なにかの加減で戸が音をたてようものなら、すわ捕手に襲われたかと心臓が止まるような思いもした。

 恐ろし気な夢をみて大声を上げて目を覚すこともたびたびだった。
 いつもいつも目を剥いた女が襲いかかってくるわけではなかったが得体のしれないものがその都度、弥助を追いかけることにかわりはなかった。
 夢の中のつもりだったが実際にも声を張り上げていたのかもしれない。
 家の者などどのように感じていたことだろう。
 弥助自身も自分がこれ程小心者だとは思ってもみないことだった。

 弥助は元来が慎重な質だったから死んだ女が身に付けていたものを持ち帰ろうとはしなかった。
 着物も帯もよいもので古手屋に持ち込めば金になることはわかっていたがそんな危険を冒すつもりは毛頭なかった。
 簪、櫛といった、妹にでもやったらいかにも喜びそうな小物も惜し気もなく棄てた。
 ただ銅乱の中の巾着には弥助が一生かゝっても手にすることが出来ない程の金子があって、それはやっぱり、どうしても見棄ることが出来なかった。 
 小さな金の一粒、一粒に自分たちはどれ程、翻弄されてきたことだろう。
 これが命とりになるかも知れぬという予感が働かないではなかったがやっぱりあきらめることは出来なかった。
 死んだ女のかたみではないか。まったく意味のない人殺しをして一生を棒にふるというのも納得のいかないことだった。
 思案の末、中味だけを褌に包んで持ち帰るととりあえず納屋の隅に深く埋めた。
 これで弥助は心の内と外とに大きな秘密を抱えたことになる。

 無口な弥助はますます無口になり、自分からは人と付き合うこともしなくなった。
 若衆宿への出入りも止めて、いかにもひっそりと身を潜めた。
 そうして、親の目、妹の目、村人たちの目に気を配った。
 役人は遣ってこないか、神経をいらだたせ、全身を耳にして弥助は一刻、一刻をやりすごしていった。
 役人が遣ってきたらその時はもう御仕舞だ。
 奴らが来たら手ぶらで帰ることがない。

 しかし奇妙なことに峠での人殺しの話はまったく噂にものぼらなかった。
 人が一人消えたのは誰よりもよく弥助が承知している。
 女にも家や家族はあったはずなのにこれはいったい、どうしたことだ。
 どこへ行くつもりだったか知らないが、女の一人歩きだ、それ程遠くから来たわけではないだろう。そのぐらいの見当はついたが訝ぶしんであれこれ考えてみても結局、答えが出るはずもなかった。
 だがそれは弥助にとっては都合のいいことには違いなかった。
 時候も弥助に味方をしていた。
 炎天下の野良仕事に皆が疲れきっていた。
 そんな時には他人のことにあれこれ気をまわすより、とにかく身体を休めることが優先する。
 間怠るく、しかし確実に時は過ぎた。
 そうして、稲が穂を垂れ刈入れが始まる頃には弥助の緊張もずいぶんと緩和されたようだった。
 もっとも十五才の若者の脳裏から殺人の記憶を拭い去るのは不可能なことだ。

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