闇の果て (六)

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(六)
 杉蔵は川向うの部落の小作農家の次男だが、身体が弱いこともあって、ずっと親元を離れずにきた。
 長男がすでに嫁をとって、親のあとをついでいたから、さぞ肩身のせまい思いで暮らしていただろうことは想像がつく。
 弥助は杉蔵のうらなりのような青白い顔を思い浮べた。
 たしか、年は一つ二つ上ではなかったか。
 部落は子供にとっても一つの集団でなにかというと他部落の子供たちとは反発しあっていた。
 一人で他所の部落を通り抜けるの憚られたし、まず無事ですむことはなかった。よくてなにかをゆすり取られる、悪くすれば袋叩きにあってもおかしくなかった。だから益々、仲間内の結束は強くなる。

 川向うといえば恰好の喧嘩相手で川をはさんでよく石合戦などやったものだ。
 互いに悪口を囃しながら石をぶつけあう。
 目を逸さなければめったに当ることはないが、だからといって油断するとひどい目にあう。
 弥助の後頭部には今でも削ぎ取ったような小さな禿が残るがそれは石を食らってできた傷だ。
 あの時は一瞬、死ぬかと思った。尋常な痛さではなかった。
 おびただしい血が吹き出したからまわりの子供たちも度肝を抜かれた。
 誰かが親を呼びに走り、あわてた親が駆けてきて、しかし布切れで傷口をかたく縛って、一晩眠るとそれですんだ。
 頭部の出血は見掛けほど怖れることはないのかもしれない。
 その頃の印象がまるでないのは杉蔵はよほど目立たない子供だったからだろう。
 大きくなるに随って、さすがに顔を合わせると啀み合うということもなくなったが杉蔵は人を認めると遠くから脇に寄って、伏目がちに擦違うのを常とした。
 声をかけると愕いたふうに目を見張っておどおどと返事をかえす。面白半分に大声をかけて杉蔵を愕ろかせては喜んでいた自分がにがにがしく思い返された。
 あの杉蔵に人殺しなど出来るはずがない。それは弥助の確信だった。
 
 役人が得意気に杉蔵を引っ立てて城下に帰っていき、村にはようやく平静が戻ってきた。
 遅れた農作業を取り戻そうと皆が必死だった。
 米作りには仕事が遅れると、その分、刈入れが遅れるというだけではすまないところに難しさがある。
 たとえば苗は梅雨前にはきちんと根を張っていなくてはならない。
 そうでなければ雨に叩かれた苗は浮き上がり、横に倒れ、やがて腐る。
 そんな知識は当然、弥助にもあったが今一つ仕事に集中できないのは杉蔵のことが頭を離れないせいだ。

 自分の身代わりにされたのだという思いはむしろ、日を追うごとに強くなっていた。
 そういえば杉蔵は笛が上手な男だったと、そんなことがふいに思い出された。どこで覚えたか知らないが神楽の囃方には欠すことができなかった。
 ころりが流行ったあと神楽の囃方も補充しなくてはならなくなって弥助も世話役に拝み倒されて、一、二度その練習に顔を出したことがある。
 杉蔵は若い娘たちに囲まれて、楽し気に篠笛を吹いていた。
 弥助は誰が見ても笛に向くとは思えなかったようで最初から太鼓方に回されたのだがそれにもまったく関心が持てなくて、ほうほうの手で逃げ出した。
 その後、二度とお呼びがかゝらなかったのは誰れもが弥助にそれ以上の期待は持たなかったせいだろう。
 杉蔵の奴、と弥助は思った。
 今ごろは過酷な責めに泣き明かしているではないだろうか。

 杉蔵の処刑が決まったという噂がぱっと村中に拡がったのはようやく田植えがすんで一息ついたころのことだ。
 死罪は免れられないとは、当初から誰もが思っていたが鋸引きとは極刑だった。
 かっては実際に首を鋸で引き落としたこともあったという。
 だがその凄惨な刑罰はさすがに長くは続かなかった。
 今は極刑として名前を残すのみだ。
 後手に縛ったまま、罪人を檻に入れ、目の前に竹で造った鋸の見立てを置いて三日晒す。そののち磔、極門というのがきまりだった。
 本物の鋸から玩具のような代物に替わったのも、あえて檻に入れるのも無惨な悪戯から罪人を守る為の処置だということは知る人は知る。
 それでも処刑されるものは三日間、死の恐怖におびえながら縛めの苦痛に耐えなければならない。

 杉蔵の奴と弥助は思わずにはいられなかった。
 今ごろは身の置きどころもなくへたり込んでいるに違いない。
 あいつがつるなんて気のきいたものを隠していったはずもない、だがつるという言葉に思い至ったとき、弥助にはひらめくものがあった。
 そうだ、せめて俺がつるをとどけてやろう。金ならある。けして手をつけようとはしなかった金だが今こそ使うべき時だろう。あの時の金がこんなふうに役立つ皮肉を弥助は複雑な気持で思った。

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