最初は東北大地震といっていたはずだ。
東日本大震災と東北・関東大震災、呼称がいまだ統一されず、報道機関の好みで使いわけられているようだが、どう落ち着くのだろう。
3月11日、金曜日、時おりふぶいたりするものの、気温はむしろ暖かめだったかもしれない。
その午後も私たちはいつものように工房で仕事をしていた。
もう一人、陶芸教室の生徒がいっしょに作業しており、ラジオでは軽妙なニュース・ジョッキーが展開中でおや地震かな、揺れてますねとキャスターの男性がおもわず口走った一言が発端だった。
2時45分頃のことである。私たちは感じなかったが旭川でも震度3程度の揺れがあったようだ。
一瞬、二瞬ののち、番組は中断されて、アナウンサーが東北地方にマグニチュード8.4の地震が発生したと報道した。
震度7は並たいていの地震ではないというぐらいの知識はあった。これは大変なことだ。
用事があり、家にもどったついでにテレビを入れると各チャンネルはすでに一斉に地震報道に切り替わっていた。
その対応の早さには驚かされたがまだ現地の情報は思うように入ってこないようだった。
それでも細々と伝えられる状況からはとてもこれほどの大災害は予測できなかった。
3月14日、月曜日、今日もほとんどのテレビ局が終日、地震関係のニュースを流し続けている。
マグニチュードの数値は8.8、さらに9.0に修正された。
これは世界歴代4位の規模だ。
三陸海岸沿いの市、町、村はその後の大津波でほぼ壊滅、死者が1万人を超えるのは確実のようで3万人に達するのではないかとの憶測もある。
福島第一原発では1号機、3号機に続いて2号機でも炉心溶融が始まった。正確な情報が伏せられるから、わからないがこれはそうとう深刻な事態だと思わざるをえない。
停電、断水、交通麻痺、ライフ・ラインはことごとく死に体である。
罹災し避難する者、55万人、まさに未曾有の大惨事というべきだろう。
大津波が車を、船を、家屋を、弄び、呑み込んでいく、安手のCGのような光景がくりかえし放映される。
しかし、これは現実なのだ。暗澹とした気分にならざるをえない。
なぜ人はかくも残酷な仕打ちを受けなければならないのだろう。
どの宗教のどんな言葉がそれを人に納得させえるのか。
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