北海道の秋景色が本州と比べて、なにかものたりないのは柿の木がないせいかもしれない。
本州の山里では枯山水に柿の実がぽっりと一つ色を添えてえもいわれぬ風情を醸す。
もっともあれは偶然ではなく、あえて一つ残すのだそうだ。木守というそんな風習をいつ、誰から聞いたのだったろう。
鉄斎の水墨画には一点、二点と朱をさすものがあって、それがまたよく画面を引き締めるがこの技法なども、そんな風景に喚起されたものではないかったか。
柿にも思い出すことはある。
若い頃、一時京都に住んだが、その間知り合った名古屋の男と毎日のように酒を呑んだ。
下宿のあった一乗寺界隈には庭に柿の木を植える民家が多く、白らじらと明けかけた朝、蛮行の余勢をかって、よく垣根越しにその実を盗んだものだ。
まだ充分に熟さぬ小さな柿の歯こたえは青春そのものだった。
品種は一千程もあるといわれるが、あの小ぶりの柿はどんな種類のものだったのだろう。
熟するとそこはかと甘く、鄙びた味がした。
塀をはみだしたものには法的な所有権が及ばないという屁理屈の用意はあったが、一旦始めた狼藉がその枠の中で収まるわけもなく、見とがめられずにすんだのは、ただ、ただ幸運であったと思う。
京都を離れて以来、音信もとだえたままだがあの男も還暦を過ぎたはずだ。どんな人生を送ったものか、なつかしい。
娘がパタパタと結婚していき、柿の木のある家の親戚ができた。
おいしい実がつきますと夏に会った時に聞いたから、ひそかに期待していたが、思惑通りそれが到来した。
野趣を残したきりっと果肉のつまった柿だった。富有柿に似ているが花萼の跡が四辺にくっきり残るからまた別の種類かもしれない。
甘すぎず歯こたえがあって、柿らしい味がする、いかにも私ごのみのものだった。
まさか鐘は鳴らないが柿を喰いながらも想うことは想う。
もう親に出来ることは心配するぐらいのものだがいくつになっても子供は子供だ。
大阪に所帯を持った娘はいま、いかにあるか。
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