私が暮らすのは学校だったところだから住宅のまわりにはかなりの空地がある。引越しの当初にはすぐにでもそのぐるりに木を植えるつもりだった。
どんな木がいいだろうと考えている間は楽しかった。
檜葉はあたりまえすぎて、面白くない。ポプラは棄てがたかったが少し背が高くなりすぎるような気がした。30mを越すポプラに囲まれたらさすがに圧迫感があるだろう。
あれやこれやと悩んだあげく、ついにエゾヤマザクラに落ち着いた。
同じサクラであってもソメイヨシノなどにくらべて地味な感じのところがいい。国粋主義者でなくても桜は好きだ。日本人なら当然だろうというところがある。
桜切る馬鹿、植える馬鹿という言葉があることをその時、知った。
私はなにか始めようとする場合、しっかり下準備をしてかゝらないと気がすまないたちだ。庭木としての桜はなかなか扱いが面倒らしい。
しかし、年に一度、満開の桜に囲まれて過す誘惑には抗しきれなかった。
エゾヤマザクラの苗木は1本3千円もしたのだったろうか。1,5m間隔で周囲に植えるといくらになるか、小学生の問題のような計算をして出たその数字に驚いた。
ここらあたりでは反だの町だので土地を数えるから坪なんて猫の額程に思っていたが千坪という敷地は案外広い。
生まれて初めて、借金をして、工場を建て、家をいじって、私は相当、高揚した気分でいたがすでに金銭的な余裕はまったくないのが実情だった。
それでも無理をしたらなんとか無理が通りそうな気もしないわけではなかったがそれを理性でしゃにむに押さえて、私は本当に涙をのむようにしてあきらめた。
そんな鬱憤を酒の席かなにかで話したことがあったのかもしれない。
お情のように桜の苗木が数本とどけられたこともあったけれどそれは結局根づかなかった。
土地が悪いという話だった。
あそこは田んぼに盛り土をしたところだから、本格的にやろうと思えばきちんと客土して土壌をととのえなきゃいけないと講釈する人もいた。
話が大げさになればなる程、実現は遠ざかる。
そうして、いつの間にか25年が過ぎてしまった。
あの時やっていたら思うことがある。
どれ程の桜の森が育っていたことだろう。
眼をつむればその森はくっきりと眼にうかぶ。
見はてぬ夢とはそのように老いの身につきまとうものかもしれない。
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