ライター

 煙草が今日ほど嫌悪されなかった時代、ライターはちょっと気をそそる小道具だった。海外旅行のみやげとしても、洋酒と人気を二分していたのではなかったか。
 デュポンとかダンヒルとか高級なライターは蓋をあける音からして違う。なんといおうか、軽やかな量感が音叉のように響いて、傍にいると見るまでもなくいいものを使っているなとうらやましかったものだ。手が出ないほどの価格でないところも憎い。なんどか手を出しかけて結局あきらめたのは我ながら身のほどを知っていたということか。
 費用対効果ではなんといっても使い棄ての百円ライターはすぐれものだ。以前にはマッチのラベルを集める趣味だって、あったものだが世の中からサービスマッチを駆除してしまった。
 マッチといえば握ったマッチ箱から軸を一本取り出して火を点けて相手に差し出すまでを片手だけの一連の動作でする仕方が学生時代にはやったことがある。くだらないことに奇妙に熟練の技をみせる者がどこにでもいるものだがまるで手なれた手品でもみるようで記憶に残る。
 実用性はみとめながらその安っぽさに抵抗感があった私が愛用したのはジッポーのオイルライター。オイルの臭いが煙草の香りにまじるのを我慢しながらちょっと長めに心を出して炎をたてる。あれは煙草をくわえた顔を炎にもっていかなくてはさまにならないんだよね。そうでなければまつ毛をこがす。
 ジッポーが高級品でないことはたしかだがこれもピンからキリまでで上は銀張り、金張りのものまである。底にローマ数字でグレードが刻印してあって“Ⅰ”が最下級品。ベトナム戦争でマリファナを吸うアメリカ兵が使ったのはもっぱらこれだ。当時は千円前後で市販されていたと思う。
 胴と蓋との蝶番の部分の細工が雑でひどいのは最初からガタついていた。選ぶと嫌な顔をされるが納得のいく品に出会うまで店をまわり、手に入れたそれを大事に大事に使う。落としたりして蝶番がゆるむと小さな時計屋を探して絞直してもらう。五百円はとられたから安くはなかったが昔の職人にはそれぐらいの技術はあった。
 傷一つつけずに使い込むのは大変だが私はしつこい。
 そうやって何年か使うとメッキが剥げて真鍮の地金が出てくる。おかしなもので無理に紙ヤスリをかけたりしたんではこの風格はない。
 私はそんなライターで両切りのピースを吸っていた。
 けっこう気障だったんだ。
 煙草を止めて十年が過ぎた。
 あのライターはどこへいったんだろう。

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