もう5年も前のことになるだろうか。
その年、娘から贈られた父の日のプレゼントは黒い色画用紙を切り抜いて作った蟻だった。
贈り物はいつ、誰にもらってもうれしい。
だから、わくわくしながら小包をほどき、中に黒い蟻しか入っていないのを確認したときにはさすがに拍子抜けしたものだ。
1匹20cm程の蟻が10匹繋がっている。
ありがとうというシャレはすぐにわかった。しかしいつもはなにかしら気のきいたものをくれる娘がなんとしたことだろう。
部屋いっぱい蟻を拡げて考えた。
昔、お手伝い券やら、肩たたき券をもらって喜んだことはある。
それが当時、娘に出来る精一杯のプレゼントだった。
親に内緒で一生懸命作ったのだろう。おぼつかない字で書かれたチケットはそれだけでもうれしく、とても使う気にはなれなくて、机の引き出しの奥にしまいこんだ。
いつかなにかの折、取り出して、まだ有効かどうか確かめてやろう、そんないたずら心で時々思い出してはにやりとしている。
あの頃は可愛いかった。
だけど23才の娘の蟻10匹なのだ。
部屋に閉込って一心不乱に蟻を切り抜いている娘の姿を想像する。
そして、ふいに思い当たることがあって、不覚にも私は涙ぐんだ。
娘は学友たちにファザー・コンプレックスを揶揄されていたようだが、私にも自分たちが軽度の共依存の関係にあることには気付いていた。
もっとも、母親と息子であれ兄弟であれ、度を越さないかぎり家族が依存しあうのは異常なことだとは思っていない。むしろ幸福な家族の証しだともいえるのではないか。
私たちは雪深い山の中に暮してけっこう濃密な家族関係を築いていた。
その親ばなれの季節がおそまきながらやってきたに違いない。
意識したかどうかはべつとして、この黒い蟻は娘の独立宣言と受取るべきなのだろう。
今こそ笑顔でにぎった手綱を手ばなす時だ。
何も聞かず愛想よく礼を言ってそれきりではあったけれど以来私は娘との距離感に気を配るようになった。
これも娘が嫁にいってようやく出来る話の一つだ。
蟻はもちろん私の手元に大切に保管している。
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