⑥片山一の文章

エッセイ

書けないときには

 書けないときには書かないと素人なら居直ってしまえばすむのだが、玄人となるとそういうわけにもいかないらしい。 たしかになりわいがかゝるし、約束をほごにしたあとの応報もこわいものだろう。 書けないときも書くのがプロだなんて見栄も馬鹿にできない...
エッセイ

冬隣

 欠礼挨拶の葉書はどうして、どれも一様に紋切型になるのだろう。 やんことなく急場を凌ぐものであればわからないでもないけれど、そうでなくても結局、似たり寄ったりのところに落着いてしまうようだ。 賀状にはひとかたならぬ凝り方をする人であっても、...
エッセイ

腕時計

 最近では千円でおつりがくるような腕時計もめずらしくなくて、それが信頼性や耐久性、デザイン性でも馬鹿にできないのだという。 中途半端よりいっそと愛用する女の子も少なくないらしい。 しかし、いいかげんな年になったらそれなりのものをと思うのも人...
朝の食卓

車いす

 札幌ドームでは案内の女性が私を見て、「けっこう歩きますけど」と言った。 大丈夫だとは思ったけれど、団体での見学だったし、息子がついていたこともあって、あえて無理はせず、車いすに乗ることにした。 私は両足に障害があるが、ずっと肩ひじ張って生...
エッセイ

ゆめぴりか賛歌

 農業にはなんの関心もなかった。だから知識も小中学生程度もあったかどうか。 水田や畑が近所になかったわけではないが親の仕事とは関係がなく、そういう人とたちとの接点もまるでなかった。 家にも猫の額ほどの畑があり、母親が家計の足しにトマトや大根...
エッセイ

霍乱

 朝、起きるとはげしい眩暈がして立っているのも困難な程だった。小用をたすにも支障をきたすぐらいで吐き気もある。 とりあえず這うようにしてベットに戻った。 ベットに臥すと小康を得るがそれで納まったかと起きあがるとやっぱり目は廻る。 なんのこと...
エッセイ

 北海道の秋景色が本州と比べて、なにかものたりないのは柿の木がないせいかもしれない。 本州の山里では枯山水に柿の実がぽっりと一つ色を添えてえもいわれぬ風情を醸す。 もっともあれは偶然ではなく、あえて一つ残すのだそうだ。木守というそんな風習を...
エッセイ

夢を話せば

 本当は船乗りになりたかった。 山育ちだからと単純に合点してもらってはこまる。そういう理由もないわけではないだろうがもっと心の奥に要因はあったのではないか。きっと心理学者なら興味ある分析をしてみせるだろう。 努力する以前に障害があるのだから...
エッセイ

女友達

 ひょっとすると、そんなことになっても、おかしくなかったはずなのにそんなことがなかったおかげでいまだにいい関係が続いている女友達がいる。 幼い頃には近くに住んだがたいして口をきいたこともなかった。もっとも近所に数多くいた似たような年恰好の子...
エッセイ

花の名前

 花の名前を覚えようとしたことがある。日本の詩歌を正しく観賞しようと思えばそれは必要なことだと思ったからだ。 たとえば万葉集、およそ4500首の内に植物が読み込まれたものが3分の1をこえる。桜、梅、椿など日本人として生長するうちに当然のよう...
趣味のことなど

105円の至福

 昔、古本屋はなかなか敷居の高いところだった。 立て付けの悪い引き戸を開けて、中に入ると奥の番台から下半身を毛布に包んで読書に熱中していたらしい白髪の親父にじろり、眼鏡越しに値踏されて、そこから先へ足を進めるにはちょっとした勇気が必要だった...
エッセイ

靴のことなど

 靴を選ぶ女房の姿を見るのが好きだ。 履きごこちをたしかめたり、鏡に写して様子を見たり、色の違うもの、型の違うもの、あれこれととっかえひっかえ迷う姿を見ているのが好きだ。 私自身がそんなふうにして靴を買うことが出来ないせいもあるかもしれない...
エッセイ

雨蕭蕭

 9月。英語を母国語にする人たちでも、やっぱりセプテンバーという言葉にはある種の哀愁を感じるものなのか。 それとも、親の親の代あたりが初めて聞く異国の言葉にセンチメンタルな想いを仮託した、それを引きずるこの国特有の現象か。 長月とはいったも...
映画

絶賛

 「96時間」が面白かった。 ひさしぶりに映画を堪能した気分だ。 それこそ息をつくひまもない感じだった。 だからといってせわしいのとも違う。 フランス映画らしくプロローグとエピローグには全体の3分の1の時間もとっている。 導入部の説明的な場...
エッセイ

闘いすんで…

 政治はショーだとは誰の言葉だったろう。 へたな芝居よりもというがたとえ上手なものだとしてもこれを上まわる興趣を与えてくれるかどうか。 心臓に毛を生やした先生としても予想外の危機ともなれば形振などかまってはおれぬのだろう。 自分の娘のような...
エッセイ

ちょっと冴えないホラ話

 アルゼンチン。ブエノス・アイレスの街角では花売りや新聞売りにまじってりんご売りが軒を連ねている。 木工ロクロのできそこないのような妙な機械にりんごをはさんでくるくるまわすと面白いように皮がむけていく。 ふうん、りんごの皮むきにはいささか自...
未分類

ふりさけみれば4 綿あめ慕情

 どんなにおいしいものだろうと思っていた。地方によっては電気あめ、綿菓子とも呼ぶのだろうか、あの夢か、雲のようにはかなくふくらんだ綿あめのことだ。いかにも特別な日の特別なおやつらしく夏のあいだだけ、祭やお盆には駄菓子屋の横に屋台が出た。 風...
未分類

ふりさけみれば3 私の西鉄ライオンズ

 父は偏執的な西鉄ファンだった。 勝てば天井が抜けるような大喜びをして、なけなしの小銭を子供たちに配ったり大さわぎだったが負けるとその分不機嫌になり誰かれかまわず当りちらした。 大正2年、四国、宇和島生まれの父が大阪に出、やがて終戦のどさく...
未分類

ふりさけみれば2 -4行目-

 4才の私は弟を背負った母に引きずられるように坂道を登っていく。 そこは枯野であり、青草の野であり、山雪の舞う雪原であったりする。 その時々で背景は変わるがその坂の登り下りだけが鮮明に脳裏に残る。つじつまのあう話に繋がるわけではない。一枚の...
エッセイ

振りさけ見れば

 陶芸家の看板のせいかどうか、たまに原稿の依頼がある。 今回は人生をふりかえってというものだった。 わかる人にはわかると思うが800字は本気で書こうと思えば短すぎ、適当にごまかすには長すぎる。しかしこれがコラムの基本的な字数なのだからしかた...
趣味のことなど

次郎長三国志についてはいさヽか辛口で

 マキノ雅彦の次郎長三国志を観た。 観たといっても、DVDを居間のテレビで再生しただけのことだからたいして威張れるわけでもない。 もっとも前作、初監督の寝ずの番は息子に唆かされて、映画館で観た。思ったより出来がよかったのでこの作品も実は映画...
エッセイ

蜘蛛との闘い

 私はなによりも蜘蛛が嫌いだ。生理的に嫌悪を感じる。嫌悪ではなく恐怖かもしれない。実は蜘蛛という字を使う度に鳥肌が立つ。 これはもう立派な神経症というべきだろう。 スティーブン・キングの小説ではないが、前世では蜘蛛の糸に巻かれて生きながら餌...
エッセイ

待たされ上手

 もしそんな言葉があるとしたら私はけっこう待たされ上手な方だろう。 1時間ぐらいなら放っておかれてもたいして苦にはしない。 本があればそれこそ御の字だがそうでなくても、妄想、空想をくりひろげていると時間は思いのほか、早く過ぎる。 呼びかけら...
エッセイ

夫唱不随?

 「何で『ムショ』か知っていたか」と私。 「ケームショの略でしょ」と女房。 「大概の人は、そう思っている。けど、あれはやくざの隠語だ。刑務所ではコメと麦とが『6対4』の飯を食わせる。この6・4でムショになったということだ」 さっき読んだ安部...
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