小説

タケⅧ 終章

 トマス・ハーディなんて聞いたこともない。時間と資料さえあれば何とでも出来ると思うが、明日というわけにはいかない。現実的な話をしようと私はいった。 若い女のむせかえるような匂いのこもった部屋で私たちは膝をつきあわせていた。 それであんた、そ...
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タケⅥ

半荘四回の約束で私たちのゲームが始まった。 場が変わっても男はそのままツキを持ち込んで一荘、二荘とらくらくトップを取った。 私とタケはしのぎにしのいでようやく二着、三着にすべり込んだ。山崎と呼ばれた分厚い眼鏡の男も一人で雀荘に出入りするだけ...
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タケⅤ

 よし、仕込みはこれぐれえでしめえだ、タケは言うとどこからかジョニ黒のビンを出してきて封を切った。 前祝いだ、明日からは雀荘に出るぜ。 たっぷり酒の注がれたグラスを私は感慨深く受け取った。生涯、こんなウイスキィーを口にする機会はあるまいと思...
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タケⅣ

 私たちが学生生活を送った昭和四十年代前半、大学はどこでも、騒然としていた。 安保以後、一時停滞したかにみえた学生運動は細分化しながら盛り返し、内ゲバと称する内紛を繰り返していた。近親憎悪とでもいうのだろうか。その私闘は凄惨を極め、大学内に...
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タケⅢ

 あんた自分ではうまいと思っているだろう、話の方向を変えてタケが言った。 まあ、そこそこには打てるんじゃないか、言葉を選びながら私は答えた。 そうだよな、だけど、今の打ち方じゃ、そこまでだ、それ以上には決してならねえぜ。 なぜだという言葉を...
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タケⅡ

 その時、雀荘で卓を囲んだその一人がタケだった。 同級だと紹介されたが顔を見た記憶がない。けげんな気持ちが表情に出たのだろう。 去年は一級上だったんだ、おととしは二級上か、来年は間違いなく後輩だ、すかさず棚沢が付け足した。 大学に籍を置いて...
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贋自分伝(おおよそ事実 だがすべてをそうとられても困るという意味で)より タケⅠ

 お前さんの擦れてないわけでもないくせに妙にうぶっぽく見えるところがいいんだよな、どうだい、しばらく俺と組んでやってみないか、タケは銜え煙草の煙に顔をしかめながら片手でビールを私のグラスに注ぎ足すとそう言った。 私は軽く頭を下げてビールを受...
趣味のことなど

マンマ・ミーアについて少々

 女房のリクエストでマンマ・ミーアなる映画を観に行って来た。 1999年、ロンドンで初演以来、全世界170都市で上演、3000万人以上を動員したという大ヒットミュージカルの映画化だったらしい。 息子はこの人らしく降りると一言、大勢に流されな...
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ショートストリィ 酒場にてⅢ

 誰だってそうは思うが、誰もがそういうふうにいくってわけにはいかないものだとおっしゃいますか。 そうですね、死ぬときまで運、不運ってやつはつきまとうんですかね。 しかし“運”っていったいなんなんでしょう。 運、不運といっても、当人の性格やら...
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ショート・ストリィ 酒場にてⅡ

 先客がいました。 小さな女の子とその弟らしい男の子が動かない遊具にまたがってきゃっきゃとはしゃいでいる。母親なのだろう、まだ若い女がベンチに腰かけて、膝にたてた腕に顎をのせてそんな二人を眺めていた。 この女も今、決して幸せではないなと直感...
小説

ショートストリィ 酒場にてⅠ

 私、実は今日、癌だと宣告されました。一瞬でも愕然としたのは我ながら情けない。そうじゃないかと覚悟は決めていたつもりだったんですけどねぇ。 どうも下腹がしくしくする。耐えられない程、痛むわけじゃないが不愉快な感じがずうっと続いていた。手で押...
エッセイ

ちょっと夫婦で

 札幌に用事が出来て、女房と出掛けることになった。 以前なら迷わず車ですっ飛んで行くところだが最近は運転が億劫になっている。 雪道だしな、高速料金もなあとぼやいてみせて都市間高速バスなるものに乗ることにした。JRに比べて時間は多少かかるが近...
やきもの

釉薬(くすり)掛けなど

 釉薬掛けは裏場仕事などと呼ばれる地味なものだが製品の出来を左右する重要な仕事だ。 雑器を焼いて暮らしを立てる小規模な工場では通常、裏手に陣取ったおかみさんや近所のおばちゃん達が日がな一日釉がめをかきまわしながら素焼をくぐらせては高台を拭く...
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あの頃の酒Ⅲ

 あの頃はまだ女の子たちには飲酒に対する罪悪感や警戒感があったと思う。戦前の教育の残滓のようなものだが、今日のようにいくら飲んでもけろっとしているうわばみみたいな女性ばかりが増えるとそんな時代が懐かしい。 コンパと称して男女同席の飲み会もし...
未分類

あの頃の酒Ⅱ

 幸か不幸か、私たち団塊の世代は赤線や青線にお世話になる機会はなかった。もっともバクダンだとかカストリという怪しげな酒で目がつぶれたり死んだりすることもなかったから差し引きは零か。 高度成長に比例するように酒の品質もどんどんよくなっていた。...
未分類

あの頃の酒Ⅰ

 昭和四十二年の春、私は東京の小さな末流の大学にもぐり込んで家を出た。私は拗ねた十九才で斜に構えることでかろうじて自分の矜持を失わずにいたが、すでに夢だの希望だのがかなう立場にないことは承知していた。いや、そう言いながらパンドラの棺のたとえ...
エッセイ

“偕老同穴”余話

 偕老同穴と題した文章が新聞に掲載されたのが一月三日でそれから二日後のことだ。 電話が鳴ったのは昼近い時間だった。家では電話はまず女房がとることになっている。その件でお話がと聞いた途端、どういうわけか女房はクレームだと思い込んだらしい。そう...
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ショート・ストリィ “風子”Ⅰ 後編

 家って人がいなくなると、何でこんなにガランと冷え込んでしまうのだろう。まるでしおれた花、置き忘れられた人形、もう拗ねてなくたっていいんだよ、風子は言い聞かせるようにわざと足音を響かせて家に飛び込んだ。 越してきた当初はせまくって、古くって...
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ショート・ストリィ “風子”Ⅰ 前編

 自動車の前の方って、やっぱりなんだか顔に見えると思う。動物の顔だったり、人間の顔だったりはするけれど、大きなライトは二つの目だし、銀色のバンパーは口、ラジエーターグリルは鼻で、そうやって見るとけっこうみんな個性的な顔をしている、、、。  ...
エッセイ

偕老同穴

 「ねえ、偕老同穴(かいろうどうけつ)って知ってた?」と聞くから「一緒に年をとって最後には同じ穴に眠る、だったかな。夫婦仲むつまじいという意味の言葉だったと思うよ」と答えながら、ふと見ると女房は笑っている。 どうも、いつもの知ったかぶりを試...
エッセイ

雑煮雑感

 女房の実家で最初にその雑煮を出された時にはさすがに当惑した。 煮崩れたどろどろの野菜の中にもちが見えかくれしている。頭もしっぽもついただしこもそのままで二、三匹は入っているようだ。どこぞの郷土料理なのだろうか。それにしても御馳走の体裁がな...
エッセイ

幕あい

 突然書こうと思った。十月の初めのことだ。どうして今どき、そんな気持ちになったものか、天命などを持ち出すとやっぱり笑われるのだろうか。 私は自他共に認める文学青年で、若い頃には当然詩や文章も書いていたわけでそれは当時、それなりの評価も受けた...
エッセイ

サボるⅢ

 三年の三学期なんて十日も登校日があっただろうか。もう行かなくてもいいようなものだと思われたけれど最後の最後におかしなチャンをつけられるのも嫌だったからとりあえず登校すると待ってましたとばかりに担任から呼び出しがかかった。 職員室に顔を出す...
エッセイ

サボるⅡ

 死後、自分の支配を離れた肉体の存在について私は苦慮していた。 縊死にしろ、服毒死にしろ、死ぬと筋肉は弛緩する。すると鼻汁、唾液、大小便の類が体外に漏出する。 目を見開き、唾液を垂らして、下半身を汚した私の死体。それは今、身を置くこの現実よ...
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