カテゴリー: ⑥片山一の文章

  • 東日本大震災

     最初は東北大地震といっていたはずだ。
     東日本大震災と東北・関東大震災、呼称がいまだ統一されず、報道機関の好みで使いわけられているようだが、どう落ち着くのだろう。
     3月11日、金曜日、時おりふぶいたりするものの、気温はむしろ暖かめだったかもしれない。
     その午後も私たちはいつものように工房で仕事をしていた。
     もう一人、陶芸教室の生徒がいっしょに作業しており、ラジオでは軽妙なニュース・ジョッキーが展開中でおや地震かな、揺れてますねとキャスターの男性がおもわず口走った一言が発端だった。
     2時45分頃のことである。私たちは感じなかったが旭川でも震度3程度の揺れがあったようだ。
     一瞬、二瞬ののち、番組は中断されて、アナウンサーが東北地方にマグニチュード8.4の地震が発生したと報道した。
     震度7は並たいていの地震ではないというぐらいの知識はあった。これは大変なことだ。
     用事があり、家にもどったついでにテレビを入れると各チャンネルはすでに一斉に地震報道に切り替わっていた。
     その対応の早さには驚かされたがまだ現地の情報は思うように入ってこないようだった。
     それでも細々と伝えられる状況からはとてもこれほどの大災害は予測できなかった。

     3月14日、月曜日、今日もほとんどのテレビ局が終日、地震関係のニュースを流し続けている。
     マグニチュードの数値は8.8、さらに9.0に修正された。
     これは世界歴代4位の規模だ。
     三陸海岸沿いの市、町、村はその後の大津波でほぼ壊滅、死者が1万人を超えるのは確実のようで3万人に達するのではないかとの憶測もある。
     福島第一原発では1号機、3号機に続いて2号機でも炉心溶融が始まった。正確な情報が伏せられるから、わからないがこれはそうとう深刻な事態だと思わざるをえない。
     停電、断水、交通麻痺、ライフ・ラインはことごとく死に体である。
     罹災し避難する者、55万人、まさに未曾有の大惨事というべきだろう。
     大津波が車を、船を、家屋を、弄び、呑み込んでいく、安手のCGのような光景がくりかえし放映される。
     しかし、これは現実なのだ。暗澹とした気分にならざるをえない。
     なぜ人はかくも残酷な仕打ちを受けなければならないのだろう。
     どの宗教のどんな言葉がそれを人に納得させえるのか。

  •  おじさん、これなんて読むかわかる?中学生になったばかりの姪に紙片をつきつけられた。
     海という漢字が5つ並んでいる。
     法事の席でひととおり酒がまわってようやく場がくつろぎ、雑談にも興が乗ってきたところだった。
     親戚の間では私はもの知りで通っている。日頃くだらない知識を披瀝しては周りを煙にまいてきた。
     どうもそのあだうちを姪がやろうということらしい。
     それにしても突然のことだから面くらう。
     海が5つだからゴ・カ・イなんて、まあ小学校低学年レベルの解答では納得しないんだろうなと思いながらとりあえず口に出してみる。
     当然言下に否定された。
     私の困惑をまわりは皆んな愉しみ始めている。
     だが、うん、うんとうなってみせたのは単にうけを狙ったわけではない。
     こういう問題を考えるのは大好きだし、時間が許せば一晩だってつきあえる。
     私は相当に本当だったのだ。
     もっともこの雰囲気では、そう長い時間をとるわけにもいかないだろう。
     ごめんなさい、わかりません、教えて下さい。
     私はおどけながら頭を下げた。
     海、5つ、こえをあ・い・う・え・おと読むそうな。
     あは海女(あま)、いは海豚(いるか)、うは海胆(うに)、えは海老(えび)、おは海髪(おご)。
     ううんとうなった。なるほどなあ。
     おごとはなんだと小意地の悪い突込みはさすがに思いとどまった。
     あとで調べると海草のことらしい。
     姪のオリジナルとは思わないがこんな言葉遊びが中学生の間にはやっているのなら日本語の将来にそれ程不安はない、負け惜しみでなくそう思う。
     今度、会ったら姪に海を5つ書いて同じ質問をしてやろう。
     どうもその手でいくと、か・き・く・け・こともさ・し・す・せ・そとも呼べるようだ。
     ここら辺、おじさんはやっぱりすごいんだよ。

  • ケータイ

     携帯電話は持つことがあたりまえの時代になったようだ。
     かっては町のいたるところにあふれかえっていた公衆電話がどんどん姿を消しているのも結局利用者がいないからだろう。
     おかげで私などがこうむる迷惑は計りしれない。家にちょっと連絡をとりたいと思ってもおいそれとはいかなくなった。
     知らない町ではキヨスクあたりで尋ねるのがてっとり早いがつっけんどんな対応をされるとけっこう心に傷がつく。
     そこの出口を左に曲がって少しいくとなどと教えられてようやくたどりつくと小銭がなかったりする。
     親しい友人がいっしょなら拝借することもないわけではないがあれも案外、肩身が狭い思いをするものだ。
     貸せというと相手が一瞬身構えるのがわかる。
     ケータイがすでに脳の一部を代行する機能を持っているからだろう。
     妻に覗かれて浮気がばれたなどという話は掃いて棄てるほど転がっている。

     電話番号を聞かれて固定機のものを教えるとずいぶんガードの固い人だなという顔をされることがある。
     できればケータイもと重ねて要求されることもある。
     ケータイは持っていないと答えるとけげんそうにする。どうして持たないんですかとさらに追求されることも少なくない。
     そういう場合は貧乏なものでといってすますことにしている。
     そう答えるとまさかと笑いながら、この人には持たないだけの主義・主張があるのだろうと納得してくれるようだ。
     これを逆に主義・主張を話すとうなずきながらも心の中ではケチか貧乏なんだと合点するに違いない。
     人間とはそういうもののような気がする。

     私はあんなもので四六時中、所在を管理されることに生理的な嫌悪を感じる。
     私は今、女房に秘密らしい秘密は持たないがそれにしたって、なにからなにまで知られていいとは思わない。
     シャメと呼ぶのだろうか、なにかというとすぐに写真におさめるシュウカンもあまりすきなものではない。記憶から消えていくものはしかたがないしそれでいいと思っている。
     いい年をしたジジ・ババがまちうけ画面とやらにまごの写真を入れて、やにさがって見せ合う姿など馬鹿馬鹿しくて、つきあいきれない。
     ケータイを持つ人は皆、一様にそういう中毒症状を呈するようだから持たずにすますのが一番よいと私は思っている。
     きっとケータイにはそういう恐ろしい魔力があるのだろう。
     バスに乗ってあたりを見まわすと全員が右手にかざしてケータイを睨んでいる。集団洗脳でもされているようで気持の悪いことといったらない。
     こうしてやがて世の中は私にとって場違いな場所になっていくのだろうか。

  • その年の暮れ

    (八)
     
     寒いと思ったらいつの間にか雪が降り始めたようだった。
     向いの長屋の板葺きの屋根がうっすらと白い。
     寺の鐘がいつもよりはっきり聞こえるのもやっぱり空気が冷えているせいなのだろう。
     さっきまで大さわぎで煤をはらっていた隣の嬶も一区切りついたようだ。まるで嘘のように静かになった。
     与平は夜叉五倍子に染った指を火桶に翳した。火桶には今、夜叉五倍子を湯煎する為の炭が起きている。
     与平は煮汁についた天狗の面の根付をときどき裏返しながらこの十日ばかりの間のめくるめくような出来事をぼんやりと思い返していた。

     とにかく、お葉なんて女はそれ以前にはまったく念頭にもなかったのだ。
     それが今はあたり前の顔をして台所で野菜なんかきざんでいる。
     親方にはたしか猫の仔をもらうようなわけにはいかぬと啖呵をきったものだったがどうもお葉は猫の仔よりもすんなりと家に居着いてしまったようだ。
     まったく、女って奴は、月並な文句が頭に浮んでしかし、与平はその言葉に脂下がる自分を感じて一人で照れた。

     お葉の話では昨日は与平に晩飯でも作ろうと思って訪ねたのだという。
     住いをたしかめにわざわざ親方のところまでいったりしてそれなりに大変だったに違いない。
     助けてもらったお礼と赤くなったあたりはなかなか可憐だった。
     そこであの騒動に出くわした。
     お葉の機転で事無きを得たが一段落がついたのはもう暮れ六つに近かった。
     それでもお葉がなにか作るというものだから表へ買い物に出た。

     米屋はすでに閉っていたが賃餅屋はこの時期、夜鍋仕事だから切り餅は手に入った。
     隣に味噌を借りにいくと煮付の残りと漬物もくれた。
     それでお葉は小器用に雑煮のようなものをこしらえた。
     腹がへっていたせいもあっただろう、これがうまかった。
     疲れていた。腹が満たされるともう動く気にはなれなかった。
     一人で帰すわけにもいかないから泊れと誘うとお葉は拒ばなかった。

     それから起こったことを与平は考えている。
     最初は背中合せに寝たのだった。相手のぬくもりがここちよかった。
     そのまま、ひとときは眠っただろう。
     深夜に目が醒めた。
     ゆっくりと今、自分が置かれている立場が思い出されてきた。
     この女を俺は助け出し、この女に俺は助けられた。それはやっぱりただの偶然だとはいえないのではないか。
     背中に伝わるかすかな緊張感から相手も以前から目を醒ましていることが感じられた。
     お葉、起きているか、おもいきって与平は声をかけた。
     返事はなかったがうなずく気配はあった。
     俺は見たとおりの跛でそれにだいぶ臍も曲がっているかもしれねえが、おまえさえよけりゃ俺は所帯を持ってもかまわないんだぜ。
     深い沈黙の意味を与平は計りかねたが、ありがとう、やがて、くぐもった声でお葉はいった。
     もし与平さんがそういってくれなかったら私、妾奉公にでも出るところだった。
     くるりと身体をまわすとお葉がむしゃぶりついてきた。
     おもいがけぬ強い力だった。

     我にかえって、与平はこの瞬間にもまたお葉のぬくもりを恋しがっている自分を知って少なからずあわてるのだった。
     とにかく親方には一刻も早く報告すべきだ。
     その時はお葉をつれていくべきかどうか。
     引っ越しだってさせなくてはならない。
     まったく明日は除夜だというのにとんだことになったものだ、与平は照れかくしに一人ごちた。
     お葉が台所でなにかいっている。
     おゝかた食事の用意がととのったといでもいったのだろう。
     与平はもったいをつけて一呼吸おくとおうっと大きな声で返事をかえした。

  • その年の暮れ

    (七)
     清蔵、てめえ、年の暮れにこそこそと他人のシマ荒らしたぁよっぽど凌ぎに難儀してやがるな。
     突然、岡っ引きの文七の銅間声が轟いた。
     文七は赤ら顔の大柄な男だ。それが引き戸の敷居を跨いだところで仁王立ちになって吼えている。
     いささか芝居がかって見えたのはあるいは外で立ち聞きしながら飛び込む間合いを計っていたからなのかもしれない。
     助かったと思ったとたん、不覚にも与平の目には涙が滲んだ。
     それにしてもなぜ親分がここに、てんで訳は解らなかったが、いずれにせよ、地獄で仏とはこのことだ。
     文七は与平たちが子供のころからこの界隈の治安を取り仕切ってきた岡っ引きだが臍を曲げないかぎり、なかなか人情味のある筋の通った親分だ。
     清蔵と呼ばれた男たちのあわてぶりも見ものだった。
     すっかり度を失った清蔵を勝ち誇った文七が睨め付けた。

     清蔵、どうした、うんとかすんとかいってみろ、なんなら、そこの自身番でじっくり話を聞かせてもらったっていいんだぜ。鼓きゃおまえならいくらでも埃ぐらい出るだろう。
     文七は十手をもてあそびながら男たちの周りをゆっくりと廻って一人、一人を吟味していた。おゝかた御尋ね者でもまぎれ込んでいないか確認しているのだろう。
     皆が文七に気を取られている隙に入口からもう一人、背の高い、ほっそりとした女が忍び込んできた。お葉だった。
     お葉は辺りの状況が気になってしかたがない様子だったが与平の無事な姿を見て、とりあえず安堵したようだ。

     清蔵、おまえだって、わざわざここまで出ばってきたんだ、言い分の一つや二つ、あるだろう、ひとしきり、いたぶって溜飲を下げたか、突然文七の調子が変った。
     どうでい、それを黙って飲み込んで帰ってくれるんなら俺も今日のことはきっぱりなかったことにして忘れてやる。おたがいすっきりした気分で年を越さねえかい。
     落し所をこころえたみごとな文七の科白だった。
     この状態で清蔵に有無があるはずもない。
     願ったりだ、親分、清蔵も下手に出ていった。
     顎をしゃくって手下をうながして、出ていこうとする清蔵に、このガキどもにも今後、手出しは無用だぜ、文七が念を押した。

     やれやれと思ったとたんだった。
     与平と藤吉はいきなり文七に平手打ちを喰わされてよろめいた。
     てめいらもいいかげんにしねえと承知しねえぞ、文七は今、赤鬼のように居丈高に二人の前に立ちはだかっていた。
     いつもいつもこんなふうに調子よくものごとがかたづくたあ思うなよ。たまたまおめえの家を訪ねてきたこの娘さんが異変に気づいて、自身番に駆け込んだんだ。俺が自身番に居合わせたのもたまたまのことだぜ。一生の運をみんな使っちまったと思って今後身を慎むんだな、そうじゃなきゃ、てめえら、本当にいずれ簀巻で川に浮ぶぜ。
     与平、すまない、俺が馬鹿だった、突然、藤吉が泣き叫びだした。
     俺が馬鹿なばっかりに、いつもおまえには迷惑をかける、堰を切ったように言葉と涙があふれかえり、しばらくは誰にも手がつけられなかった。
     藤吉が少し落ち着いたところをみはからって与平はどうしてもとけない疑問をついに口に出した。
     だけど、どうしてお葉さんは、ここへ。
     するととたんにお葉は真っ赤になってうつむいた。

  • その年の暮れ

    (六)

     与平さんのお宅ですね、引き戸を開けて、どことなくねずみを思わせる小男が顔をのぞかせた。
     ついさっき七つの鐘を聞いたばかりのような気がするがあたりはすでに暮れかけている。
     与平は馬に向っていた手を止めると顔を上げた。
     今どき、誰が何の用だろう。
     しかし与平を認めると有無を言わさず、どっと男たちが土間に雪崩れ込んできた。
     五、六人もいただろうか、一目でまっとうな生活者でないとわかるような風体の男たちだった。
     最後に顔を腫れ上がらせ、鼻の周りに血をこびりつかせた藤吉がこずかれながら入ってきた。
     与平は一瞬にあらましを悟らないわけにはいかなかった。
     藤吉の馬鹿がと思った。またなにかしでかしやがった。

     あんたのお友達のこの人がね、妙なおもちゃでいたずらしていましてね、最初はうちの若いもんも面喰らったようですよ、たしかに面白いもんですな、これは、聞けばこちらさんのお仕事だとか、中から小肥りの男が一歩踏み出してくると上り椎に賽を二つ転がらせた。
     二つの賽はころっと転がると一と一の目をきちんと上に向けて止まった。
     案の定だ。与平は今、自分が否応無くやゝこしい騒動に巻き込まれてしまったのを感じていた。
     男ののぺらっとした無表情の顔からはなにも読みとれるものがなかったが場慣れした落着きが与平を威圧していた。
     どうですかね、一つ、私にもこんなおもちゃを作っちゃくれませんか。
     削り屑を払うと与平は躄りよって敷居に膝を揃えて座った。

     これはたしかに私の作ったものです。これと同じものを御所望ならお作りしましょう、多少なりとも自分の世界で話せることがわずかな与平の希望だった。
     しかし、これは象牙の芯と側の密度の違いを利用して作っています。このような都合のよい材が次に見つかるまでどれ程、待っていただかなければならないか、しかもせいぜいこの大きさが限度です。
     それは嘘だった。どうせこの男たちには象牙の知識などないと見越して与平は嘘をついた。
     雑な仕事では賽を二つに割って内を刳り貫くからよく見ると継目がわかる。
     与平は一の目を穿ってそこから掘り出し、鉛を仕込んで蓋をしたあと、さらに赤い色漆で被うという手のこんだ仕事をしているから、賽を潰しでもしないかぎり細工の跡はわからない。

     たしかにな、男は賽を手にとって、つくづくと眺めていった。
     そういわれりゃそんなもんかもしれねえが、俺のはもっとぞんざいでいいんだ、普通に遊べる大きさのやつでな、いつの間にか言葉づかいが変わっていた。
     それじゃ私にいかさま賽を作れっておっしゃるんですか、それは出来ません、与平はふんばった。
     なにを、てめえ、じゃあ、これはなんだ、男がいきりかえった。
     なにをどう工夫したかしらねえがこれだって立派ないかさま賽じゃねえか、なんならこれをおゝそれながらと、お上につきだしたっていいんだぜ。

     おそれいりますが、これは賽のように見えてそうではございません。賽は一の目と六の目を上下にとると、横に五、四、二、三と並ぶかと思います。これは五、四、三、二と作ってあります。賽とはいえません。
     藤吉だったらなにをやってもおかしくないというのが頭のどこかにあったから与平はそういう工作もしておいた。
     どうせ、一の目しか出ない賽ころだ。そこまでは気をつけて見ることはないとふんだのだ。
     その思わくは当ったようだった。
     えっという顔をして男が目をこらした。
     こんなんで遊ばれているようじゃ、うちの若いもんもていしたことはねえな、口元は笑ったようだったが目がつり上がった。
     兄さん、あんたはどうも頭は悪くなさそうだがそんな講釈で納得していたら俺たちも稼業が務まらねえんだ。
     やれっていったことはやってもらうぜ。それともてめえら二人、簀巻にしてそこらの川に潰けてやろうか。
     進退極まったと思った。結局こういうことになるのだ。
     与平は身体がこきざみに震えてくるのがわかった。

  • その年の暮れ

    (五)
     お菊の店はいつ行っても客で溢れかえっているな、壮太が感嘆したような声を洩した。
     お菊は昔から人あしらいはうまかったからな、藤吉がしたり顔であいづちをうつ。
     色気七分じゃねえのか、どの客もみなものほしそうな目でお菊の尻を追っていたじゃねえか、米次郎が余計なことを口走り、冗談じゃねえや、お菊はそんな女じゃねえぜ、留吉が口をとんがらせた。
     お前まだお菊と続いているのか、壮吉が信じられぬという顔で留吉を見た。

     お菊は今まで飲んでいた居酒屋の娘で与平達とは幼なじみだった。
     年忘れに一杯やらないかと音頭をとったのはやっぱりいつもの藤吉で幼なじみが五人、お菊のところで集まった。
     どうせ金を落とすならという頭が与平達にないわけではなかったし、幼なじみの気安さで気が置けないのもありがたかった。
     お菊も隙を見ては頼みもしない酒やさかなを運んできて一言、二言、口を挟んでいった。
     さっきは留吉にもお菊にもこれといった思わせ振りな態度は感じられなかったがと与平は思った。

     年季があけりゃ、俺も一丁前の大工だ、約束通りきちんとお菊をもらいに行くつもりだぜ。
     お菊と留吉が死ぬの生きるのと大騒ぎを仕出かしたのはもう三年も前の話だ。
     そのことは与平達みんなが知っている。
     留吉は年季があけるにはまだ間のある身体でお菊は十六才だった。
     誰が考えてもどうしようもない話に穏便に水を止したのはやっぱり周囲の大人の知恵だったろう。
     留吉の年季があける三年後まで話を棚上げにすることでとりあえず二人を納得させたが実際のところ誰もがそんな辛抱が出来るような恋だとは思っていなかった。
     それを二人は守り通していたのだった。
     ある種の感動が与平にもあった。
     お前たち、えらいな、壮吉は口に出したが与平も同じ思いだった。
     だけどお菊はあの店のかんばん娘だ、親がすんなり嫁に出すかな、米次郎がまた言わずもながのことをいい、壮太に脛をけとばされて顔をしかめた。

     こう寒くっちゃやりきれねえや、そこらで一杯飲み直そうぜ、藤吉が声高にいった。
     満月に近い月が寒々とした光を投げかけている。
     痩せた柳の枝が揺れた。
     たしかに掘割りを吹き上げてくる風は身に滲みる。
     誰もが藤吉の意見に異存はないようだった。
     その時だ。
     やめて下さい、女の悲鳴のような声がそう叫んだようだった。
     与平が周囲を窺うと横手の路地の奥で男と女が縺れあう気配があった。
     痴話喧嘩かと逸らそうとしかけた目を与平はもう一度、見据え直した。
     月明かりに取り囲むように後にまわるもう一人の男の姿が見えた。
     そうして、女はお葉だった。
     
     与平の動作が不振だったのだろう。
     どうしたと壮太が声をかけてきた。
     どうも知り合いが面倒に巻き込まれているようだ。
     しかしなぜ自分がそんな行動をとる気になったのかが与平にもわからなかった。
     与平は争い事は好まぬたちだ。できるなら見て見ぬふりをしたってさけて通りたい。それが今進んで渦中に入ろうとしている。
     酒のせいだったろうか。後に控えた四人の仲間はたしかに心強かったが留吉の心意気にあおられる程、うぶでもないはずだった。一度会ったきりのお葉をそれ程気に留めていたということもないのではなかったか。

     与平はためらわずに露地に入っていった。
     足は震えたがぞろぞろと後に続く人の気配が与平の背中を押していた。
     なんだ、てめえは、お葉に正対してなにかしゃべっていた痩せぎすの男が気配に気付いて振り返ると、すぐさま一歩踏み出してきた。
     目にけんのあるまだ若い男だった。
     なんだ、てめえは、それしか言葉がないように同じ科白をまた吐いた。
     本物のごろつきならここらで懐からドスでも出して脅したりするのだろうか。
     しかしこの男はもう少し分別を持ち合わせているようだった。
     人数を確め、力関係を忖度して一瞬に勝めがないとふんだようだ。
     なんだ、てめえは、さっきとはずいぶん違う低いひかえ目な啖呵だった。

     とんだ色男のおでましだってよ、けったくそ悪いや、行こうぜ、棄科白を残して男たちは露地の向うに消えた。ある意味、みごとな引き際だった。
     与平、やるじゃないか、にやにや笑いながら藤吉がいった。
     おまえはてっきり女嫌いだと思っていたんだがな。
     お葉は与平の背でちぢこまっている。
     ちっとは身体が暖まるかと思ったんだが、留吉が腕を拱ねいた。
     寒い、寒い、冷えた冷えた、さあ、さっさと飲み直そうぜ、米次郎が足踏みを始めた。
     与平、お前はここまでだ、その女を家まで送ってやりな、、壮太の言葉で進退を迷っていた与平にも踏ん切りがついた。

  • その年の暮れ

    (四)
     ここ数日、与平は忙しかった。
     桔梗屋の注文をなんとか年内に割入ませる為にはそれなりの遣り繰りはしなくてはならない。
     押木に向った与平は削り上げたばかりの三味線撥に椋の葉を当てて仕上げの磨きにかゝっていた。
     気を抜かずに磨く。根気よく磨いていくと象牙は内から輝いてくる。唐方の象牙はやっぱり肌理が違うと思う。
     火の気もないのに与平はうっすらと汗ばんでいた。
     そこへ与平さんと突然、声がかゝった。
     いつ入ったのだろう、土間に小僧が立っていた。
     親方がちょっと来てくれないかって。
     今までにもそんな具合に時々、源次の呼び出しはかかった。
     行くと酒の相手をさせられたり、急ぎの仕事を手伝わされたりする。
     よし、わかった、あと少しですむと思ったが与平は潔く手を止めた。

     おれの兄弟子の娘でお葉っていうんだ。これがガキの頃にはなんどか会っているはずだが覚えていねえかい。
     与平が入っていくと機嫌のいい顔で談笑していた源次が相手の娘をそういって紹介した。
     与平も昔、薄汚れた小娘がたまに親方の家にやってきて晩飯を食べたり泊っていったりしたことがあったのを覚えていた。
     あの娘がたしかお葉といったはずだ。
     父親が早死して大変なんだという話ではなかったろうか。
     会釈をすると視線を合わせることなくお葉は目を伏せたのでその分、与平には余裕を持って観察する時間があった。
     綺麗な女だった。綺麗なだけにその質素な身なりが妙にちぐはぐでこの女が今、けして幸せな生き方をしていないことがしのばれた。

     お葉はな、病気のおっかさんの世話をしていてすっかり婚期を逃しちまった。今23才だ。
     お前は27才だったな、ちょうど似合いの年恰好だ。
     こいつを嫁にもらってやってはくれまいか。
     お葉は身を堅くしてちぢこまっている。
     なんとなく、そんな話もあるかもしれないという予感はあったがいきなり源次にそう切り出されて、与平はあわてた。
     おやっさん、そちらさんにも思わくはおありでしょうし、あっしだって、猫の子をもらうようなわけにはいきません。少し時間をいただきてえもんだ。
     あわてた割にはうまいその場の言い逃れができた、と思った。

     ひとときの後、お葉は帰っていき、与平は奥に誘われて酒になった。
     あいつの父親は弥七といって、俺の兄弟子でずいぶん世話になったもんだ。
     源次は普段、昔話をするような男ではない。お葉の出現と酒の酔いが源次を感傷的にさせたらしかった。

     腕は良かったが手が遅かった。几帳面な男で手が抜けねえから仕事が遅れる。それを繕うために夜業を重ねる。廻りが悪いっていうやつだな。
     もともと線が細かったが胸をやられて、あっという間に逝っちまいやがった。残された女房、子供はみじめなもんだったぜ。下の娘はすぐに養女にもらわれてったがあいつは母親の傍を離れなかった。
     母親が小料理屋の下働きで稼ぐわずかな金でなんとか食いつないでいた。
     そのうちこんどは母親が倒れちまって、なんでも、かんでもがみんなあいつの肩にのしかゝった。
     俺も孤りだちしたばかりの頃でなんの力にもなってやれなかった。
     それをなんとか凌いできたんだ。あいつはたいした女だぜ。
     源次はげんこつで涙を拭った。親方も年を取ったのかもしれない。

     その母親がこのあいだ死んで今、あいつにはなにもなくなっちまった。張りもない。支えもない。放っておいたら、一年もしねえうちに岡場所に身を晒すか首を括るかわかったもんじゃねえ。
     俺にゃそれが心配でならないんだ。女なんてやつは誰か男がしっかり支えていてやらなきゃすぐにぐずぐずになっちまうもんだ。
     なあ、与平、嫁にもらってやれ、あれは本当にいい女だぜ。
     源次の口説きに心が動かされないわけではなかったが、与平の頭には跛という負目が常にこびりついている。
     俺の裸の不様さにきっと女は目を背けるだろう。
     いくら誘われてもけして悪所に出入りしなかったのは金を払って女に蔑すまれるんじゃ間尺に合わないと思うからだ。
     哀れみか蔑すみかを心の奥に密めた女などと暮らしていけるわけがない。
     相手が美しい女だと意識をすればそれだけ与平の確信は堅牢なものになった。

  • 辞典片手に

     辞典も楽しいものだ。
     小説にあきると私はよく辞典を開く。
     「一」は漢和辞典の最初に出てくる。
     息子の名前をどうするか、頭をつきあわせた両親があっちをめくり、こっちをめくりしてさんざん悩んだあげく結局元にもどって落ち着くまでにどれ程の時間がかかったことだろう。そんな場面を想像するとたしかに親のありがた味は増すがこれを「まこと」と読ませたおかげで私は終生まともに呼ばれることがないかもしれない。
     けっこう由緒ある出典なのだが女房などうそから出たまことと本気で信じている。
     まあ、そうふきこんだのは私自身なのだから、自業自得というべきか。
     「一」は部首も一なら、画数も最小の一、それでは最大画数の漢字はなんというか、一冊ものの辞典ならせいぜい35画程度の漢字が最後の方にのっている。
     馬を三つ重ねたものがある。馬がたくさんなんて意味だという。ひょっとしてと、探したらやっぱり鹿が三つ重なる字もあった。二つを並べたらすごいぞと期待したがさすがにそんな熟語はなかった。残念。
     諸橋轍次の大漢和辞典全13巻にはなんと64画の漢字も出てくる。
     龍という字をたて、よこに4つ並べる。音はてつ、意味は多弁。
     おまえもそろそろいいかげんなおしゃべりはやめろという示唆だろうか。

    (北海道新聞 朝の食卓 2010年12月27日掲載)

  • 風邪のことなど

     牛と風邪は引くなという。
     牛は依怙地で引かれると突っ張る。下手をすると後退さる。
     牛を歩ませるには尻の方から宥めすかすように追ってやる。
     牛追いと呼ぶ所以だ。
     牛にはまったく関わりないがこの感じはなんとなくわかる気がする。
     風邪の場合も引くという。数多い疾病の中でもこの動詞が付くのはこれぐらいのものだがなぜだろう。
     広辞苑に当ると、かっては息をする意味にも使われていたらしい。息を引きとるなどのいい方が今日でも残る。
     それにしても風邪が呼吸器から伝染するらしいことを当時すでに知っていたのだからたいしたものだ。
     好きこのんでかゝりたいと思うものなどいるはずもないが、それでも子供の頃はしょっちゅう風邪を引いていた。
     発育が悪かったか、栄養のせいか、あるいはその相乗効果だったかもしれない。1950年、朝鮮戦争の前後のことで町の奥に入った開拓民の子供たちはまだ昼食時教室から抜け出したりしていた。
     鼻水だの咳だののまえにとにかく喉の奥が腫れた。
     まずものが食べられなくなる。やがて唾を飲み込むのさえ苦痛になって症状は悪くなる一方のような気さえしてくる。
     熱でふやけた頭は不平と不満でいっぱいになり、私は部屋の隅のふとんの中で世の総てを呪うのだった。
     私の性格の大部分はそんな体験が醸成したものではないかと思っている。
     年がいくにしたがって喉を腫らすことも少なくなったがそのせいかどうか、他人との折合もとりあえず無難につけられている。
     気が張っていれば風邪は引かないとよくいうが、あれは本当のことだろうか。
     ともかくかゝれば気がゆるんでいたことにされてしまうのだから真偽のほどをたしかめるすべはない。
     私は最近、外に出歩くことがめっきり減っているからたいがい家族の誰れから外から持ち込んだものでやられる。
     この間は息子が持ち込み女房にうつり、やがて当然のように私がかゝった。
     息子はちょっとおかしいとなると即、大量の薬剤を買い求めしゃにむに風邪をおさえこむ。
     女房は息子の指南と薬剤のおこぼれで、それ程大さわぎにならずにすむ。 
     私は薬剤を拒否して二日寝た。
     熱はたいしたことがなかったが鼻水と咳は出た。
     おかげで風邪のことなどあれこれ考えた。
     咳は今も残っている。 

  • 複本問題

     副本を広辞苑で引くと、①原本のうつし、そえしょ、複本 ②「法」正本と同一事項を記載した文書、正本の予備、または事務整理のために作成、と出ている。
     しかし、図書館用語として使う場合は複本とは同じ内容の本が重複して存在することをいう。
     昔から複本はよくやった。岩波の啄木歌集や牧水歌集は家におそらく5、6冊はあるはずだ。
     たとえば旅先で啄木が読みたいとなったら迷わず駅前の書店に飛込んで買う。喫茶店で飲むコーヒー一杯分と変わらなかったし、それが無駄づかいだとは思わなかった。
     そんなわけで朔太郎や道造もやっぱりなん冊かずつある。
     文庫本の活字が一まわり、二まわり大きくなったのはいつごろだったろう。
     ついでに文章も新かなに改まったりして、すると同じ作品が見違えるようにわかりやすくなったような気がして、つい手が出てしまう。諭吉の学問のすゝめとか、海舟座談とか、これも厳密にいえば複本になるに違いない。
     いささかいいわけがましいがさらにそこに亡くなった弟の書籍がまぎれこんだ。
     おかげで岩波の古典文学大系なども2セット揃っている。
     数年前、中程度の蔵書の整理をした。
     ちょうど帰省していた娘が手伝ってくれたが、複本の多さにはさすがにあきれたようだった。
     娘は図書館学の専門家である。
     今日、図書館における複本は看過できない問題なのだという。
     児童書の出版元は零細が多い。持っている玉をどれだけ転がすかも経営の知恵なのだろうか。
     表紙を変え、題名を変え、全集に組み込んでとあらゆる手段を使うらしい。
     かぎられた購入費の中ではたしかに複本が一冊ふえるごとに良書が一冊、排除される計算になるわけだが、なんのことはない、私に対するまわりくどい説教なのだった。
     それを横で聞いていた女房も鬼の首をとる勢いでせめたててきてものだ。
     たしかに長い年月、本を買い漁ってきたのだからあきらかに記憶違いで重複した場合もあるだろう。持っているはずなのにいくら探しても見つからず結局、もう一度買い直すというケースもないわけではなかった。
     だが、それぐらいとりたてて大さわぎするような話でもないではないか。
     私は恥じることも動じることもなかった。
     本を読む人なら私のいい分はわかるはずだ。
     しかし最近、私はしばしばいいわけのつかない複本をするようになった。
     古本屋の店頭にひと時代前、ふた時代前に話題になった書籍がどうみても人手に渡ってきたとは思えない状態で並ぶ。へたをすると腰巻までがしっかりついている。
     それがカンコーヒー1個とかわらない。
     まあ、とりあえずあってもいいかという気持になるのはやむをえないところだろう。
     そんなわけで時には10冊、20冊とまとめ買いしてくる。
     だがどうもそんな買い方をした本には愛着が欠けるようだ。
     情けないことだが、自分の所有する本の把握が出来なくなっていた。
     本を積み直そうとすると部屋のあっちとこっちから、片翼だけの天使が出てくる。生島治郎は、なんとなく気になる作家でいつも読んでみてもいいと思っているのだがそれにしたって2冊はいらない。
     フランク・ボームのサンタクロースの冒険などどういうわけか3冊もある。田村隆一訳というところがミソで見ると衝動的に手が伸びるのだろう。
     その心理は了解するが、なんともだらしないことになったものだ。
     娘や女房にはまだバレていないが本の神さまは先刻御承知のことだろう。
     天罰が下らないうちになんとか対応を考えなければならないと思っている。

  • エビス

     イザナギ、イザナミの最初の子をヒルコという。ヒルコは生まれながらの不具だった。そこであし舟に乗せて川に流す。
     古事記にそうある。
     都合の悪いことはなかったことにしてすます性向は当時からすでにあったようだ。
     知ったかぶりのついでに言えばこれが水子の語源になるとの説もある。
     子棄て、子殺しはいわば日本開闢以来の伝統だからなにも現代の風潮に目くじら立てることもあるまいよとつい脱線した言辞をはいて、私は女房の逆鱗に触れた。
     女房は常に絶対の正義に立つ人である。そんな深刻な問題におちゃらけなどは許せないのだった。
     恐ろしくて言いそびれた話の続きをすれば、そのヒルコが長じてエビスになる伝説もある。
     だから立姿のエビスはいない。宝船のエビスだって鯛を抱えてかならず座っているだろう。そういう意識で見るとその名前のビールのラベル、あの足のかっこうもなにかちょっと不自然なのがわかるはずだ。
     エビスの、あの笑顔に隠した屈辱、怒り、絶望、哀しみはけして他人事とは思えないわけで……。
     なに、要は私がそのビールを愛飲する正当性を理屈づけて説明したかっただけのことなのだが、やっぱりちょっと方法論に問題があっただろうか。

    (北海道新聞 朝の食卓 2010年11月13日掲載)

  • なんと呼ぶ……?

     私は連れ合いを人に紹介する場合など、最初からごく自然に「女房」といってきた。
     それであたりまえだと思い込んでいたふしがある。
     しかし、そう呼ぶことがけして一般的ではないことを最近になって知った。
     いまさら心外だが、女房もあまり好きではなかったそうだ。
     そういえば父も母をそんな風には呼ばなかったような気がする。
     なんと言っていただろう。
     あるいは「うちの奴」だったろうか。
     どこで「女房」が出てきたものか、考えてみても中学の古典で習った弘徽殿の女御をにょうぼと読み違えて記憶したいたぐらいしか思いあたらない。
     もっとも私はこの言い方が気に入っているし、いまさら変えるつもりもないから、女房にも我慢してもらうしかないが、それでは世間一般ではなんと呼んでいるのだろう。
     ごく無難なところではやっぱり「妻」に軍配が上がるのか。
     これは老若、場所を選ばないから使い勝手はいいかもしれない。
     しかしいかにも優等生的で、いま一つ、工夫が足りない。
     偉そうなふうが抜けないじいさんがサイと音でいうのを聞いたことがあるが、これはやっぱりある程度貫禄が必要で若い人には無理かもしれない。
     「愚妻」なる言葉ももうほとんど死語だろう。
     女を後に傅かせてこう宣まえるような男はもういない。
     「家内」というのもよく耳にするが、これも若い人には使いきれないのではないか。
     「ウチのカミさん」は老若使って、違和感はないがくだけた感じがある分、正式の場面ではどうだろう。
     最近ときどき耳にする「うちの嫁」なる言い方は関西あたりの芸人が使い出して、テレビを通して全国に蔓延したもののようだが、これには私は生理的な嫌悪を感じる。
     だいたい嫁などとは舅、姑が使う言葉だったはずだ。
     そのうち嫁の方でも「うちの婿」などと言い出したりするかもしれない。
     「ワイフ」というのも戦後一時期、世間を席巻したものだが、どういうわけかパパやママほどには定着しなかった。
     英語つながりでいえば習い始めの頃ベターハーフなる言葉を知った。
     よい言い方だと記憶しているがこれは今日、本国でもあまり使われないそうだ。
     言葉の生命もわからない。
     中国では「老婆」「愛人」という。
     字面からするとまるで別のイメージが浮ぶ。
     同じ中国語を使う国でも台湾では「牽手」というそうだ。手をつなぐという意味で男女共にそう呼び合う。
     なにかちょっといい感じだなあと印象に残っている。
     近々、息子が結婚する。
     自分の連れ合いをなんと呼ぶようになるのだろう。
     ひそかな楽しみの一つではある。

  • 占い

     血液型占いというのが一時大流行した。
     多種多様の人間を4つに仕分けるのはいささか乱暴だがその単純明快さが受けたのかもしれない。
     当時、スナックなどで飲むときまって血液型を聞かれたものだ。
     何型だと思う?と逆に問い返すと待ってましたとばかり講釈が始まる。
     日に幾度も同じ話を繰り返すのだろう。
     それがちょっとした芸になっていて、外れることもあったが当たることも多かった。
     当てると為て遣ったりという顔をする。
     なにせ4分の1の確率だから当たる可能性も高い。
     それが進化なのだろうか、そのうち、何型の入った何型というようなバリエーションが登場するようになる。
     私はO型だがどうも血液型占い的にはA型の資質が多いようだ。
     だからずいぶんA型の入ったO型なのねと判断される。
     それで贋占い師は自己満足し占われた方もとりあえず了解するのだが、しかしこういうふうに細分化を始めるとやがてなんでもありになってしまって、占い本来の意味も失われるのではないだろうか。
     そんなこんなで血液型占いも一時の勢いはなくなったがいまだにしぶとく生き残っているところをみると人間はよほど占いが好きなものらしい。
     占いに頼る心理を分析すると現状に不満ということになるのだろうか。たしかにいつの時代でも、現実に満足している人間なんてほとんどいない。
     私も新しい高島暦を見つけると店頭で立ち読みする程には占いに関心がある。
     ここのところ、毎年のように喜しい言葉が並ぶのだが、なかなか事態はそのように発展しない。
     よほど前後の星の影響が入っているのだろう。

  • マイ・ブーム

     今、私たちはことわざを合体させる、ことば遊びに熱中している。
     たとえば今日の政治状況を一寸先は闇夜の鴉と表現する。一寸先は闇と闇夜の鴉を尻とりでつなげたわけでなにか意味ありげなうさんくさい感じが気に入っている。
     女房だって、ケーキをいただいたぞと家に持ち帰ると両手に花より団子だわと飛びつくわけでお互い、相当はまっているのだ。
     負けるが勝ち馬に乗るとか喪家の狗も西向きゃ尾は東とか石の上にも三年寝て待つなど、その間に出来た傑作も少なくない。
     その日、私たちは病院の待合室で額をくっつけるようにして悩んでいた。しかし別に深刻な病気が発見されたわけではない。
     尻とりでことわざはどのぐらいつながるものかと考えていた。
     仏の顔も三度…三度目の正直…正直者は馬鹿を見る、もう小一時間も待たされているはずだがまるで気にならなかった。
     前の方にもつくんじゃないと女房。
     そのヒントで上の方に聞いて極楽見て地獄と地獄に仏の2つをくっつけることができた。これで5つのことわざがつながったことになる。大満足でうなずいたところで、とうとう名前を呼ばれてしまった。
     その途端、見るは目の毒という、ことわざがぱっと浮かんだ。これで6つだ。まだまだ続けていけるかもしれない。どうだろう。

    (北海道新聞 朝の食卓 2010年10月2日掲載)

  • 師匠

     師匠の釣りは世間一般の釣り好きとは少し違っていたかもしれない。
     釣りが出来ればそれでいいというようなところがあった。
     ちょうど釣りを覚えたての小学生が学校から帰ると玄関にカバンを投げ棄てて、あわてて一本竿とバケツをかゝえて川に駆けつける、そんな風情が師匠にはあった。
     本来、釣り好きとはそういうもののはずなのだがしかるべき年令になり、しかるべき地位を得ると人は趣味でも自分を飾るようになる。
     茅渟だ鮎だと小煩い御託を並べるのはそのせいだろう。
     師匠にはそういうこだわりがまるでなかった。
     道具にも凝ったふうはなかったし薀蓄を語ることもなかった。
     とりあえず水面に釣り糸を垂らしていればそれで満足そうだった。
     釣果を気にしないのも嬉しかった。
     幼い頃、お父上を亡されて、苦労に苦労を重ねた思い出話は直接師匠から聞く機会もあったわけだが、だからといってこのような釣りの好みをそれで説明できるわけでもない。
     突き詰めればやはり人のありかたの根元に近づく。
     
     私の父なども釣りは好きな方だったが結果次第では人格が変わるようなところがあった。
     私が釣りにあまり関心を持てなくなったのはそのせいもあるかもしれない。
     師匠運という言葉がもしあるならば私は運がよかったのだとつくづく思う。
     当時、私は内弟子として運転手を兼ね、外出の際は常にお供をする立場だった。
     作陶中のことも考えるとあるいは奥さまより、接触する時間は長かったかもしれない。
     窯をたきあげた翌日は釣りというのはほとんど決まりのようなものだった。
     意外にせっかちなところのある師匠はたきあげた窯が気になって、あれこれのぞいているうちに風を入れて、作品を駄目にした経験が一度ならずあったに違いない。
     陶芸家なら誰もが覚えのあることだと思う。
     いささか尾篭な話だが直りかけのできものをいじくるようなもので一度、気にしだすと瘡蓋をはがして血を出すまでは止められない。
     ここ一番と気合が入った時にかぎってそういうことになるのだから始末が悪い。
     私も師匠の教えを守って、そんな時はけして窯場に近寄らないよう気をつけている。
     
     舟宿に一泊して、翌朝早く沖に出てというようなことを私は給金をもらいながらやっていたわけで釣り好きにはよだれの出そうな話かもしれない。
     それをたいして感謝もせずにいたのだから、今から思えば私もけっこう横柄なものだった。
     もっとも最初の頃、竿を渡されて、師匠の横に座らされることがなかったわけではない。
     指摘されて竿を上げると糸の先に小魚がついていた時など、やっぱり少なからず心はどよめいた。
     しかし、私はかなり年がいってから陶芸の道に進んだので、それ自体がすでに道楽だと思っていた。
     それ以外の道楽を持つつもりも余裕もなかった。そういう私のおざなりの様子はどうもなんとなく師匠にも伝わったとみえて、じき、相手にされなくなったのは幸いだった。
     師匠が釣りをする間、私は自由を得たわけで、居眠ろうが本を読もうが、それは私の勝手だった。
     考えればもったいない話だ。師匠は密かにそんな弟子を物足りなく思うこともあったのだろうか。
     師匠のところではいつも数人の弟子を置いているのだがどういうわけか私のいた頃には一人だった。
     ちょうど作陶上の端境期にあたっていたのかもしれない。
     あからさまに較べられることのなかった私はその点でも幸せものだ。
     
     贅沢な時間は思い出になっても贅沢なものだ。
     雨の日、堤防の端、ぎりぎりに車を付けさせて後部のドアを張ね上げると、そこにどっかと腰を下してひがな一日、ポケットビンのウイスキーをちびりちびりと飲みながら浮子を見つめていた師匠の姿が目に浮ぶ。
     多少無理してでも時間を取ってやっぱり師匠に会いにいってこよう。

  • 風邪かもしれない

     ごほんと一つ咳をして台所の女房をうかがった。食事の準備に夢中で聞きもらしたか、反応がない。そこでごほん、ごほんとさらに大きく咳をする。
     どうも今朝は身体が重い。けっこう熱もあるんじゃないか。
     こんなに具合が悪そうなのにどうして女房は気付いてくれないのだろう。昔はちょっとしたことにだって目をとめてうるさいぐらいのものだった。
     別に大騒ぎしてほしいわけではないが、せめて、お父さんどうかした、ぐらいのことがあってもいいだろう。
     ようやく手渡された体温計を口に銜えて、これで高温だったら有無なく病院に行かされるだろうなと私は考えている。だけど低けりゃ低いで、大丈夫よ、大袈裟なんだからなんていわれて腹が立つ。なんとか希望通りの体温が計示されないものだろうか。
     子供の頃、幾度か入院生活を経験したが、そういえば日に3度の検温はたいてい指でこすって、調整していた。一度なんか、温度を上げたまま返して、ひどい目にあったりしたが、まあ、いよいよになればそんな手もある。
     正確に自分の体調を知っておきたいし、この状況にもっとも適応する体温も提示したい。
     私はハムレットのような心境で天井を睨んでいる。(2010年9月2日北海道新聞 朝の食卓掲載)

  • 待つ (二)

     日が翳って、庭の石組の陰が長い。
     申の刻は少し過ぎただろうか。
     蝉の声もいつか止んでいる。かすかな風が単衣の肌に心地好かった。
     つい、この間まではこうしていると藪蚊が執拗に襲ってきて閉口したものだが今日はもうそれもない。
     人間落目になると蚊も刺さないか、清次郎はつい自嘲的な気分になる。

     あの日、異変が突発したのは下城の触れが鳴って4半刻も過ぎたころだった。
     近習溜りには普段なら10人近い若侍が屯してにぎやかなのだがそのときは上司の田村右京之介と同輩の遠山猪一郎、それに清次郎の3人しかいなかった。
     要領のいい者たちは右京之介の不機嫌に愛想を尽かしてさっさと座をはずしていったようだ。太鼓の音を聞きつけてすでに帰途についた者もいるかもしれない。
     帰り仕度をととのえて清次郎は次の間に控えていた。
     最先に退室するのは憚られる。いまだに新参者という意識が抜けず、揚げ足を取られぬよう細心に気を配っていた。
     奥の間からは右京之介が猪一郎を叱罵するねちっこい声が漏れてくる。

     厭な奴だと清次郎も思う。
     右京之介は家老、田村帯刀の息子でいずれ藩の中枢に座ることが約束された男だった。30才前で近習の組頭はけして遅い出世ではない。その先には若年寄が見えている。
     しかし当人はそれでもなお満足がいかぬらしかった。
     なにかというと人を押し退けて目立とうとする。そうして、自分の意がかなわぬときには右の顬に太蚯蚓のような癇筋が走った。その傍若無人ぶりに眉をひそめはしてもあえて諫める人がいないのは一旦憎まれると後を引くからだった。誰れもが後難を怖れていた。
     妻女でももらえばもう少し落着くものをと考えるのが親心かもしれない。世話をやこうとする物好きもたまにはいるらしいのだが、断るのか、断られるのか、話はいつも途中でたち消える。
     すべて兵馬の受売りだが、右京之介には男の方が好きなのだという噂もあった。
     父とそっくりだとも親よりもさらに悪いとも人はいう。
     清次郎は垣間見るだけで帯刀の人となりは知らないが兵馬はつねづね似たもの親子だと吐き棄ていた。

     俺などまだ多少商人の飯を食っているせいで如才のないところがあるのだろう。それとも歯牙にかける程の相手ではないととっくに見透かされてしまったか、とくにひどい目にあわされたことはないが、いかにも気のきかぬふうな猪一郎にはなにかとつらく当るようだ。
     どうも下士の分際で藩中一、二を争う剣の使い手というのが面白くなくてしかたがないらしい。

     藩主、和泉守が御前試合の活躍ぶりに目を止めて、みずから声をかけて、とりたてたというのだから、猪一郎ももう少し毅然と構えていればよいものを人並に茶坊主の真似などしようとするから阻喪を犯す。
     望外の出世が猪一郎に自分を失わせてしまったらしい。
     今朝も拝領の茶碗の口を欠したとかで一騒動だった。
     今もおそらくその件を右京之介がぶりかえしたに違いない。

     それにしても右京之介はしつこい。
     猪一郎もたまらんだろうな、清次郎は年上の同僚に同情した。
     こんなことばかりやっていると、そのうち誰かに闇討でも仕掛けられるぞ、そう思ったやさきだった。
     突然、甲高い罵声が轟き絶叫が後に続いた。
     奥の間に飛込んだ清次郎は首根から血を吹き出させた右京之介がのけぞる姿に度肝を抜かれた。
     目を吊り上げた猪一郎の鬣は逆立ち、頬からは浴びた返血が汗のようにしたたり下ちている。
     血刀を下げて、立ちつくす猪一郎はすでに人間の姿には見えなかった。
     腥ぐさい臭いが鼻腔に充満して、清次郎は必死に嘔吐をこらえていた。

     猪一郎、かすれた声が出た。
     その声にようやく我に返ったように猪一郎は清次郎に目を向けた。
     狂気を消した猪一郎の目はかぎりなく哀しかった。
     その視線を受けとめたと清次郎は思ったが、しかし、今、なにを言えばいいのか、何をすればいいのか皆目、見当がつかなかった。
     一瞬の間があった。
     次の瞬間、すまぬ、迷惑をかける、叫ぶと猪一郎は下げていた刀をいきなり自分の腹に突立てた。

     猪一郎はめったやたらと刀で腹を突きまくったようだった。
     しかし死にきれず断末魔の唸り声を上げながら血の海の中をのたうちまわっていた。
     2人の体内から迸り出た血液は天井といわず、壁といわず、あたりを真赤に染め上げていた。
     血の臭いは部屋に横溢し、たまらずついに清次郎は嘔吐した。
     一度吐くと嘔吐は波のようにくりかえし襲ってきた。

     騒ぎを聞きつけた人々が部屋のまわりに駆つけ始めた。
     腰を抜かした清次郎は後手をついて、吐きながら、知らず知らず後退さっている。
     人垣を作った何方かの足に阻まれなかったら、そのまま廊下を越えて庭にころがり落ちていたかもしれない。
     ふいに人垣が割れる気配があり、今井清次郎、うろたえるな、頭上から大声の叱責がとんだ。

     大目付、牧民部はさすがに場なれていた。
     一声で清次郎を正気に戻すとそのまま奥に進んで総てを諒解したらしかった。
     のたうつ猪一郎の肩を膝で押えると、脇差を抜いて止めを刺し、右京之介の絶命をたしかめて、その目を閉じてやった。
     とりあえず一件は落着した。
     しかしこれが清次郎の生命を左右する大騒動の端緒でもあったのだ。

     武道不覚悟とはよくぞいったものだと清次郎は思う。
     もともと武道のこころえなどまるでないようなものだったがしかし、あの場面に誰が居合わせればどうなったというのだろう。
     たしかに醜態といわれればその通りだった。
     初めて人が殺されるのを見、人が死ぬさまを見て、俺は仰天してしまった。俺は腰を抜かし、嘔吐した。それをあえて弁解しようとは思わない。
     人に指さされ、嘲られるのなら、あまんじて受けよう。
     だがそれが腹を切らねばならぬ程の失態とはどうしても思えなかった。

     大目付の取調べは詳細をきわめ、その日、深更に及んだが清次郎にはそもそも隠し立てするいわれもなく、言葉のはしばしに猪一郎への同情は滲ませたかもしれないが知ることは総て正直に申しのべた。
     事件は右京之介に刀を抜いた形跡がないことから猪一郎の一方的な襲撃として処理されるようだった。
     遠山家が取り潰されるのはやむおえないとして、清次郎にまで累が及ぶとは、その時、その場に居合わせた者の誰れもが思いもしないことだったろう。
     二、三日家でおとなしくしておれ、いずれ、沙汰があろうがどうということもあるまい、牧民部もそういって清次郎を帰宅させたのだ
    った。

     しかし翌朝早々に田村家老の家人が清次郎宛に届けてきた書状は目を疑うものだった。
     それには武道不覚悟もはなはだしい。事が殿のお耳に入るのは必定、殿のお怒りをかって上意が下りてからでは遅い。すみやかに自裁せよ。それが今井家安堵の唯一の道だということが激烈な言葉でしたためられていた。
     
     千五百石取りの田村家はもともと藩主家とも血縁で繋がる由緒ある家柄で代々家老職を務めてきたが当代帯刀になって娘の浜路が和泉守の側室に上がるといよいよ権勢をほしいままにするようになった。
     暗愚の噂のたえぬ和泉守の陰で藩政を左右するのは帯刀だと城下では知らぬものはない。

     その帯刀の泣きどころが子の少ないことだった。どういうわけか帯刀には右京之介と浜路の一男、一女しか出来なかった。
     その宝のような一人息子が殺されたのだ。
     これで名家、田村の直系は絶える。
     帯刀の無念はわからぬでもない。
     しかし八つ当りされる清次郎もたまったものではなかった。
     常識では考えられない話なのだ。
     しかし、逆上した帯刀ならやりかねないと思わせるところが不気味なのだった。

  • 級友再会

     思いがけなく東京の、それも表参道で作品を展示する機会を得た。地域力宣言2010という全国商工会連合会の催事で、全国から39社、私のところは北海道を代表する形で出品する。
     どのような基準で選考があったものか、ともかく望外のことだった。

     しかし落着くとその振り戻しもきた。
     はたして本当に日本の一流と肩を互してやれるのか。
     恥もかきたくないし、買り上げでも引けをとりたくはない。
     都内には賀状をやりとりする程の知人が数名住むだけでなんとも心もとない。
     あれこれ思案の果てに思い当たったのが高校の同級生だった。
     団塊の世代の私たちは昭和41年、高度経済成長期の入口で、就職するにも進学するにもとにかく東京を目指した。
     そのせいで今もクラスの3分の1近くは東京に住む。
     だがふてくされるだけ、ふてくされて過した自分の高校時代を思えば躊躇するものもあった。だいたい卒業以来、一度も顔を会わせたことがない。
     同じクラスメートを持つ女房にうながされて、とりあえず案内は出す。
     見かけによらず気が小さいんだからと女房にも揶揄されたが、出発の前々日には激痛が腹部を襲い病院に駆け込むような様だった。

     8月も末というのに東京は猛烈な暑さが続いていた。地表にいるとたちまち全身汗にまみれる。ただでさえ汗っかきの私には地獄以外のなにものでもなかった。
     原宿駅から歩いて7分、しかし表参道ヒルズは予想以上にすばらしい建物だった。
     会場の地下3階、スペース・O(オー)も申し分ない。
     もっともディスプレイやなにやかにや、無駄なお金をかけすぎではないかと貧乏性の私には思われた。

     人は入るが物は売れないという現象がたまにある。
     会場が出来すぎると、そんなことになると聞いたことがあるような気もする。
     皆が皆、同じようなものだったのだから、そう解釈しても間違いではないのかもしれない。あるいはこの異常ともいえる暑さが人の購買意欲を奪ってしまったのだろうか。
     勝ち負けの差がでないのはとりあえずありがたかったが、それにしてもなんともひどいありさまだった。
     
     ひやかしの客に対応するのもいいかげんうんざりして時計を見てもこういう時間は意地悪く進まない。
     そんな折だった。
     頭の禿げ上がった中背の男がおうっと脂臭い息を吹きかけてきた。
     私は愛想のよくない目を向けたはずだ。
     しかし相手は曰くありげな目線をはずそうとはしなかった。
     とりあえず元気そうでなにより___その中途半端なため口でさすがに私も目の前の状況を理解したが、相手の顔と名前を思い出すにはさらにもう少し時間が必要だった。
     
     それにしても不思議なものだ。
     特に親しく付き合った記憶もない45年前の級友となぜこのようになんの隔たりもなく向い合えるのだろう。
     私たちは年甲斐もなく興奮し、話題はとりとめもなく駆け回り、つきることがなかった。

     それで作品はわけてもらえるのかな、つきないなごりの終りに相手はそういい、無理につきあわなくてもいいよと私もいったはずだ。
     作品の何点かをかゝえて、皆んなも来るはずだぜ、帰りぎわの相手の言葉もうれしかった。

     来年、雪がとけたら最初で最後のクラス会をと誰がいいだしたのだったろう。
     一泊じゃもの足りないから、二泊か三泊でやろうと話は一人歩きを始め、なんの現実的な計画もないままに東京在住のクラスメートの脳裏にはその予定が組込まれてしまったようだ。
     それを地元に持ち帰って具体化させる役割を私は託された。
     連中がしてくれたことを思えばそれぐらいはやらなければ私も義理もたたないだろう。
     そして、その時には多少てれながらも級友を旧友と呼び直すことも出来るだろうか。

  • 電気炉

     最近の電気炉にはあたりまえに自動焼成装置が組み込まれていて、スイッチを入れさえすればそれですむ。誰れでもそこそこに焚き上げることが可能なように出来ている。
     あの問題はどうするの、この件についてはどうなるのと玄人としてはつっこみの一つも入れたいところだが所詮、そこまでの要求は無視しておいてもかまわないのだろう。
     データをプログラミングすればどこがどう作動してどうなるのか、正直なところすでにもうなにがなんだかわからないのだが機械はいつの間にか人間よりはるかに利巧になってしまったようだ。
     昇温も降温も緩急自在、指示が正確ならほとんどエラーも発生しない。
     30年前、私が独立した頃はまだ電気炉はすべて手動でねかしも停止もすべて時計を見ながら自分でしなければならなかった。
     肝心な時に電話が入ったりして、応対しているうちに、炉のことはすっかり念頭からすっとんで気が付いたときにはもう取り返しもつかないことになっていたという、泣くに泣けないような経験は、その時代の陶芸家ならみんな一度や二度はしているにちがいない。
     だから遮断器が出現した時はありがたかった。
     これは設定した温度に到達したら電気を遮断するだけの、今からすればひどく単純な機械だったがおかげで電熱線が焼き切れるまで放置したりすることはなくなった。
     それから間もなく遮断にねかし機能がついた半自動と呼ばれる焼成装置が普及し始めた。
     便利な分、目の玉が飛び出すほど、高値だったが電気の方の知識がある人だったらタイマーだのリレーだのという部品を組み合わせるとけっこう簡単に手造りも出来るらしかった。
     私も知人に組立てもらって、そんなセットを20年来使用している。
     当時、4万円もかゝっただろうか。数年前温度表示器を取替えたが今だに健在だ。
     その時、よっぽど今日的な焼成装置に入替えようかと迷ったが別に現状のままで不自由もないので思いとどまった。
     施釉の技術、窯詰めの経験則、ふん、結局、最後は腕だと思う一方で年と取ったということさと多少の自嘲もないわけではない。
     職人気質などもうとんと流行ない。

  • 轆轤

     どうしてロクロというのだろう。
     ロクロを引きながら、時々そんなことを考える。
     ものの名前にはそれぞれに意味がある。ただ長い年月の間にそれが忘れられてしまうのだ。
     滑車などをそう呼んだり、六路と当てて、四方八方の意味で使ったりする例もあるから、円や円回転と無関係ではないのだろうがそこからさきがわからない。
     しかし、技術の方は紀元前3000年ぐらいまでさかのぼって、インダス文明、メソポタミア文明の遺蹟からもその使用が確認できる土器が出土している。
     日本でも須恵器などすでにロクロ成形のものが見られるというから本当に古い技術だ。
     大昔、まだ、ロクロ職人という言葉はなかったろうが、やること、考えることには、今日とそれ程、変わりはなかったはずでそんなことに思いが及ぶと、やっぱりある種の感慨はある。
     道具が未発達な分、奴らの方が腕はよかったろうか。
     湯呑だったら、江戸時代、一日1000個も引く職人もいたと聞く。
     200個程度でひいひいいっているんじゃ勝負にもならないか。
     手ロクロや蹴ロクロなど古い道具をあえて使用する人もいないわけではないが、今日では電動ロクロが一般的だ。
     モーターでターンテーブルを回転させる。
     パワー、持続性、速度、すべて自在でやっぱり便利なのはありがたい。
     ロクロ作業はとりあえず絵になりやすい。
     陶芸家の仕事といえばまず第一に思い浮かべる人も多いだろうが、しかし焼きもの全般からすればほんの一部にすぎないし、年がら年中、ロクロを引いているわけでもない。
     なんとなく特殊技術のようなところもあるがようは自動車の運転みたいなものでやれば出来るし、数をこなせば誰だって相応にうまくもなる。
     それでも陶芸にかかわろうとしたらまずロクロの技術を修得したいと思うのは人情かもしれない。
     私だってそうだった。
     菊ねりも土ごろしも出来ないまゝロクロにむしゃぶりついていった日々がなつかしい。

  • 古本万才

     本のリサイクルが一般化したおかげで、以前ならけして手にしないような本にも関心が及ぶようになった。
     なにか新しい遊び場を発見した子供のように暇をみてはいそいそと古本屋に出掛けている。
     行けば手ぶらで戻ることはまずないが、なに、今どき、これ程安価に楽しませてくれるところはない。
     新刊で買う程の興味はなかった、図書館で借りてまで読みたいとも思わなかった、しかし、手元に置けばなにかのおり、読むこともあるだろう、そんなたぐいの本は多い。そしてその中には必ず掘り出し物もまじるのだ。
     
     アンドレ・ガルコフのペンギンの憂鬱は一時、話題になったこともあるから、書棚に見つけた時はしめたと思った。
     新潮社のクレストブックスは海外の話題の新人を紹介する注目すべきシリーズだがおそらく販売部数が望めぬせいなのだろう、設定価格がおゝむね高い。
     それを運良く105円で手に入れたのだから道端で100円玉を拾うよりどれ程うれしかったことか。
     読後の感想を言えば定価で買ってもけして損をしたとは思わないですむだろう。こんな本がどうしてもっと売れないのか。
     フランス装を意識したシックな装丁で若い女性が小道具に持ち歩いても充分いけるはずなのだが、今どきはそんなおしゃれははやらないらしい。
     
     デイヴィット・バルダッチのクリスマス・トレインも、新刊の書棚からはまず引き抜くことはないような本だった。
     1、2ページ、おざなりに目を通して、とりあえず買った。
     しかしこれも悪くなかった。
     上品なラブストリィーで適度に起伏も用意され、ちゃんとほろりとさせるおちもあったりしてなかなかのエンタテーメントだった。
     たとえば大ベストセラーになったマディソン郡の橋と比べて、どちらが小説としての出来がいいかと問われたなら私は迷わずこちらを選ぶ。
     ちなみに女房も同意見だった。女房は年に5、6冊しか本を読まないが、その見識にはつねづね瞠目させられている。
     本も数をこなせばいいわけではないのかもしれない。

     私は今、本来なら古本屋でもけして手を出さないような本に手を出したばかりに思いかげず貴重な時間を浪費させられている。
     北大路公子の枕もとに靴、なんのだろう、これは。
     私は年間、どうがんばっても100冊前後の本しか読めない。
     老い先を考えるとあとせいぜい1000冊がいいところだろうか。読んでおきたい本、読み直したい本は、数かぎりなくある。
     残された時間、古今東西の名作、傑作に集中しなければならぬと決心したのはついこの間のことだった。
     それがどうでもいいような本により道ばかりでなさけないことおびただしい。
     子供の頃、勉強しようとすると机のまわりが気になってしかたなかった、それに似た心理が働いているのかもしれない。
     だいたい札幌の出版社というのがよくなかった。
     寿郎社、がんばっているのだろうな、無駄な金は一銭だってかけられないという決意のような一色刷りの表紙、しかし、これで本が売れるのだろうか。
     同人誌だの自費出版だとのに多少かゝわってきた者にはいかにも身につまされるような本でしかもひょっとしたら版元から直接流出したのではないかと想像させるように人手にふれた形跡もないまゝ三冊が並んでいた。
     私は喜捨でもするようなつもりで買ったのだ。
     女房だったら一行読んで“馬の糞”と投げ棄てるかもしれない。しかし、私はなんのかんのと結局、最後まで読まされてしまいそうだ。
     挿入のコントなど妙に引かれる。影切りなんて特にいい。
     なかなかのものだよ、北の才能、そうほめれば多少、自分の読書も正当化できるだろうか。
     
     とても北海道とは思えないようなおかしな気温で日中は工房もサウナ状態だからつい外に逃げ出したくなる。
     外に出るとおのずから足は古本屋に向う。
     これ以上ふやすと床が抜けるという女房の悲鳴を思い出したが、結局又何冊か買ってしまった。
     これはひょっとするともう本当に病気かもしれないと自分でも思う。 
     病気だったら病気でもいい。おまえは病気だから寝ていろと誰かいってくれないものか。
     本をかゝえて寝ていられたら、それこそ望外の幸せなのだが。

  • ピストル

     たしか巻玉といったような気がするがはっきりしない。
     少量の火薬を等間隔に埋めて、帯状に巻いたもので10円玉程の大きさがあったろうか。それ用のピストルに仕込んで撃つとパチッとはじけた小さな音が出た。
     引鉄に連動して帯を繰り出す仕掛けがあって、本来なら巻玉一つ撃ち尽くせていいはずなのだがちゃちなおもちゃのことでそんなことにはめったにならない。
     2手に別かれて撃ち合う場面では皆んながそれぞれ情けない思いをしていた。
     途中でちぎれた不発の帯を石でたたいて発火させてよく鬱憤を晴らしたものだ。

     それからすると平玉ははるかに迫力があった。
     火薬の量も10倍ぐらいはあったのだろうか。
     千代紙より2まわり程、小さな紙に上下、左右きちんと種が植えられている。
     横着して手でちぎろうとすると、種までさいて、もったいない思いをする。あれはきちんとはさみで切り揃えてマッチの空箱に入れて、大切に持ち歩くものだった。
     爆発力が増大した分、強度も必要になったのだろう。
     ピストルも巻玉のものより段違いにしっかりした造りになる。
     ただ残念なことにこれは連発式というわけにはいかなかった。
     撃鉄を起して、火皿にその都度、平玉をつめて撃つ。
     そのもたもた感は子供心にもなんとも恰好のつかないものだったが、しかし一度、平玉ピストルを手にすると、もう、強く握るとひしゃげそうな巻玉ピストルにはもどれなかった。
     撃鉄など粗悪ながら鋳物だったしグリップに木を使ったものまであった。だいたい手の内に残る重さが違う。
     意外に大きな爆発音と鼻をつく火薬の臭い、この先のそう遠くないところに存在するはずの本物が十分想像できて、私など恍惚としたものだ。

     一玉打ちになれると、じき、私たちはダブルといって、平玉を2重にして打つことを始める。
     あぶないと親に見つかるとしかられたけれど、しかられないような遊びばかりでは子供だって退屈する。
     三つ重ねで打つと火花で灼かれる感じがあり、手がしびれて、どきっとする。だけど誰れもが一度や2度はやっているのではないだろうか。
     あの日、私には親をおどろかせてやろうというほかには、なんの思惑もなかったはずだ。
     買い物に出た母親の帰りを物置小屋に隠れて待ちうけると三つ重ねに仕込んだ平玉ピストルの引鉄を引いた。
     小屋に籠って音は予想外に反響したがそれよりも私を驚かせたのは母が大声を上げて腰を抜かしたことだった。
     一瞬、私はピストルが暴発して銃身が母を傷つけたものではないかと思ったほどだ。
     初めて見る母の醜態にむしろ私がひどく傷ついていた。
     そのあと、どのように始末がついたものだったろう。
     どのような目にあっても、しかたがないと覚悟はきめたはずなのだが、それ程、しかられた記憶もない。

     今だったらわかる。
     従軍看護婦として戦場を駆けまわっていた母の耳元で突然炸裂した銃声の意味。
     ピストルはいつか拳銃と呼び名を変えたが私がいまだに惹かれるのもそんな出来事と無関係ではないかもしれない。
     深夜、私は小型の拳銃で自分の頭を打ちぬく姿を夢想する。